STVホール公開への参加初期の頃
☆STVホールで、私が最初に日高晤郎さんを撮影した写真
どこかでも言いましたけれど、私が晤郎さんファンになって初期のほぼ10年は、直接お会いしたこともありませんでした。
ただ、ラジオの前で日高晤郎ショーをじっと集中して聴いてました。
この時代、これが原点ですね。
ただ聴覚に意識集中して、勿論、飲み食いしながらでしたけど。
まるでそれは毎週九時間の人生講座でありました。
それがひょんなことから、晤郎ショーファンだという友人ができまして、「ホール公開楽しいよ、一緒に行こうや」とお誘い。
でも私は断り続けてました。
だって、晤郎さんは私にとって太陽。
太陽に近づきすぎると燃えて死ぬ。
何度、断り続けていたか。
ある時、友人が真顔でこう言ってきました。
「来月のホール公開、必ず行こうよ。絶対一緒に行こうよ。」
いつもと違う様子が気になって、話しを聞くと、関西への転職が決まったとか。
おそらくこの機を逃すと、もう二度と一緒に行けないという。
少しだけ悩んだけれど、後悔しそうな気がしたので、今度こそ退路を断って行く事に。
まだ、座席優先権など無かった時代の話です。
そして、初めてのホールに足を踏み入れたのは、1990年位だったかなぁ。
記録をその頃取ってなかったので、定かではないけれど。
生きて動いてる晤郎さんに、もう心臓バックンバックン。
スタッフさんたちのキビキビした動きにも魅了されました。
それからは、全部じゃないけれど、ホール公開には行けるようになって。
でも、誘ってくれた友人は、その後遠い旅に。
彼が居なかったら、私は永久にホール公開には行ってなかったかもしれません。
縁とは、不思議です。
初めて晤郎さんを撮影したのは、2003年2月のホール公開。
これです。
RMウィリアムス・ファッションで身を包んだ晤郎さん。
手紙も匿名で出し続けており、周囲に名も名乗ってなかった頃だったと思います。
写真を見ると、これは絶対に常連席からの撮影。
うううむ、、、、私って、どんだけ面の皮が厚いんだろうなんて、今更悩む一枚ではあります。
しっかし、よくこんな良い席に座れたもんだなぁ。
写真眺めながら、思っています。