晤郎さんの遺言~私の娘へ
☆サッポロファクトリーでのお茶会
10月6日午前10時、私と娘は札幌ファクトリーで待ち合わせ。
この日の夜、一緒にさだまさしコンサートに行こうと娘から誘われたのだ。
コンサートは18時から。
でもどうせ会うなら朝からだねと8時間前の集合となった次第。
喫茶店で飲み物頼んで、マスク越しの小声の会話を楽しんだ。
☆晤郎さんと私の娘
晤郎さんは、当時中学三年生だった私の娘を大変可愛がってくださってた。
そこ切っ掛けは娘の決意。
「お父さん、私も第一スタジオに行ってみたい」
中学卒業を前にした多感な時期。
娘は自主的に日高晤郎ショー見学を志願してきたのだった。
その事をご挨拶に替えて手紙にして投函。
晤郎さんはそれらの経緯をとても喜んで下さり、娘を「Wちゃん」と呼んで気にかけて下さった。
そんな数々の思い出を、穏やかに語り合った。
晤郎さんって、本当に優しい方だったよな。
こうして娘と今でも語り合える温かい思い出を沢山手渡して下さった。
「ね、お父さん今でも思う。親子で晤郎さんとお会いできて、本当にしあわせだったね。」
しばらくの沈黙の後、娘はこう言った。
「今更だけどね、今の私で、晤郎さんとお話ししたい。」
思う処があるのだろう。
娘の頬に一筋。
☆晤郎さんの遺言~私の娘へ
晤郎さんが私の娘だけに伝えられていた言葉がある。
短い間だったけれど、幾つもある。
多くはCM中に。
一番印象に残っている場面は、まだ中学生の娘をアシスタント席に呼んで。
その一つを今日は書き残そうと考えた。
折角だもの。
その言葉は、これ。
「Wちゃん、例えばね、日本がもし円(まる)だったとしたら、どうなる?、、、つまり物事はね、思い切り飛躍して視点を変える事も必要なんだよ。いつも頭をそういう風に柔軟に使うんだ。そうすると色んなものが視えてくることがある。大切な事なんだよ、そういうのがね。」
中学の娘に晤郎さんが、柔軟な発想法のコツを噛み砕いて伝えて下さった。
その伝え方が鮮やか。
日本がもしも円だったら、、、
皆さんお考え下さい、どうなります?何が起こります?何が便利で何が不便になります?
時を経た晤郎さんからの楽しい問いかけ。
我が娘への楽しく温かい遺言のひとつ。
※2014年7月26日2時台STVラジオ第一スタジオにて撮影