訃報~夫婦漫才ゆめ子さん、女優藤村志保さん 

夫婦漫才コンビ、東京太・ゆめ子のゆめ子さんが16日、千葉県内の自宅で心不全のためお亡くなりになりました。
享年81歳。

夫で漫才師の東京太(あずま きょうた)さんと1993年にコンビ結成。
専業主婦からの転身でした。
当初専業主婦からの転身ということで素人臭さを指摘されたこともありましたが、2010年には第65回文化庁芸術祭賞の大賞を受賞。

二年前になります。
私が東京通いをして、寄席巡りをしたのは。
その中で、東京太・ゆめ子さんの夫婦漫才に触れられたのは四回。
本当に温かい笑いがありました。
東京太さんの、ぼんやりとして妙に温かな口調。
そこに、しゃんとしたゆめ子さんがテンポよく会話の主導権を取って東京太さんにしゃべらせない。
かかあ天下でも、俺しあわせだよといった東京太さんがまた笑いを誘う。
東京太・ゆめ子
話芸でしたね。
良いものを観せていただきました。
会話の途中で二人顔を見合わせて「ん、ね~~っ♪」という決め台詞。
そこからあふれる相思相愛ぶりがたまらなく愛おしかった。
間も呼吸も、一流の芸人さんだと感じました。
やはり、あの時、行っておいて良かったと感じます。
そして、もう再びあの芸に触れられないのが寂しい。
残された東京太さんの心中如何ばかりかと、胸が締め付けられる思いで一杯です。

令和7年(2025年)六月上席の六月五日。

浅草演芸ホールの高座が東京太ゆめ子として最後の出演となりました。
生涯現役を貫いた、本物の漫才師さんでありました。

謹んで、東ゆめ子さんのご冥福をお祈り申し上げます。 
東京太・ゆめ子

女優の藤村志保さんが、6月12日に肺炎のため亡くなりました。
享年86歳。


藤村志保さんと言えば、俳優として日高晤郎さんの同期生でしたよね。
日高晤郎ショー内でも晤郎さんが、幾度もそういう話をされていました。

1957年頃には、既に花柳流の名取「花柳麗」として日本舞踊を教えておられたそうです。
1961年4月に大映京都撮影所に入所、これは日高晤郎さん(細谷新吾さん)入所の翌年のことです。

1962年4月、主演の市川雷蔵先生の推薦で抜擢され、映画「破戒」のヒロイン「お志保」役を好演。
日本映画プロデューサー協会などの新人賞を獲得した。

その後、大映時代劇になくてはならない女優へと成長。
中でも市川雷蔵先生主演作や、勝新太郎先生主演作に重用され、スター女優の位置を確立。
細谷新吾さんと同じく、両先生の薫陶を受けていらっしゃったのですね。

藤村志保さん

そして藤村志保さんは、映画と同時期にテレビドラマにも進出し、お茶の間でも人気に。
1971年の大映倒産後は出演映画は減ったが、 次第にテレビに軸足を移し、NHK朝の連続テレビ小説や、NHK大河などにも出演。

1983年に女優として放送番組向上委員会委員に就任。
1985年には臓器移植の取材をもとに「脳死をこえて」を書き上げ、第6回読売女性ヒューマン・ドキュメンタリー大賞を受賞。
同時にこの年、地唄舞「藤村志保の会」をスタートさせ、隔年ごとに主宰。
1998年に毎日映画コンクール田中絹代賞、川崎市文化賞。
2007年にNHK放送文化賞。
2012年文化庁長官表彰など受賞歴も多数。

一方で、放送文化資源や資料の保存にも関心を示し、2011年には自身の出演作などの台本576冊を一般社団法人日本脚本アーカイブス推進コンソーシアムに寄贈。

2014年1月3日に背骨を圧迫骨折し、同年8月には全快したとの事でした。
しかし所属事務所によりますと、その後も藤村さんはたび重なる圧迫骨折で療養。
そして最初の圧迫骨折から11年後の先週12日に御逝去されたという事です。
藤村志保さん
空の上で両先生を前に、細谷新吾さんと藤村志保さんが思い出話に花を咲かせていらっしゃることでしょうね。
心より、藤村志保さんのご冥福をお祈り申し上げます。

 

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