日高晤郎ショー・みとせの流行り歌2000年 その1

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今から13年前は、ちょう~ど2000年です。
平成で言うと、十二、ですね。

晤郎ショーはアシスタントが佐藤望ちゃんに替わりました。
いま気象協会に居る二本柳ゆみこちゃんはこの時ランラン号。
もう今や気象協会に無くてはならない人材ですよ。

この年の4月です2000年。
今ヤマダ電機になってるスピカ。
はい。
もう全天候型というドームは私の知ってる限り一度も開いたことが無いというね。
開けると何十万掛かるからという、じゃあ最初から閉じとけよって話なんですが。
でも九時間丸ごとあそこでやったんですから。
その時は1000回を記念したのかな。

五木さんが来てくれたり、ベーヤンが来てくれたり、松崎が来てくれたり、島津亜矢が来てくれたりと豪華版で。

ラジオではあり得ないような、皆さんが運んで下すった、今では思い出深いですね。

その一月一日に2000年代最初だって言うんで、その2000年問題。
いったい何がって、なんも起こらん!(スタジオ笑)
なんも、広尾(町)でもなんも無かった。

でも三月になるとエンターテイメント、プレイステーション2。
もうこれでいかにも時代が変わったなぁという気がしましたな。
その時ヒットしたのは、これがありますね。
福山雅治、桜坂

忘れもしない。
こう電話を取ってくれる女の子が、「福山雅治 桜板」って書いてある(スタジオ爆笑)
ええ~っ、俺、一番偉い割烹料理の板前かなと思いました(スタジオ爆笑)
福山雅治 桜坂

でも北海道は大きなことがありましたね。
3月31日に。
まぁ日にちまではお覚えではないでしょうけど。
有珠山、はい、これが噴火しました23年振り。
壮瞥、虻田、伊達の住人が避難しました、これがそうだったんです。
有珠山が噴火したんで、えっ、ウスだろうって言った話がありますからね。
、、、う~ん、ま、こんなこともあるか(スタジオ笑)
がんばるぞぉ(スタジオ笑)

五月ですが、西鉄バスジャック事件。
17歳の少年だったって言う、犯人が。
もうこういう事があるとずっとテレビ画面釘付けになりますな。

テレビの強みって言ったらここだけでしょうね。
今やってるバラエティだのなんだのって止めてもいいですよ。
休んじゃったらどうなの、もうほんとに、埒も無い事を。

それから新札と硬貨が出ました8月の1日に、あの500円硬貨。
私は何かでお釣りをもらう時に、タクシーなんかもそうですが、必ず500円硬貨をもらいます。
で1000円ちょっと超えると端数は結構ですから運転手さん、500円玉だけ1個もらえませんか、500円玉お持ちですかと。
ああありますよ。
じゃあ端数は結構ですと。
端数は知れてるんです、せいぜい200円あるかどうか。
この500円玉がこのスタッフ全員のお年玉に変わるんです。
これが楽しみなんです。
12月の半ばぐらいにこれをお札に変えて、1000円札に替えて袋に入れていくんですね。
500円玉貯金って。

それでもなんだかんだいて偉いもんですよ。
そういう習慣をずーっと続けていると、ちょっとホテルでもダラ銭が集まって替えてもらうとね。
10万から15万は簡単に。

ですから皆さんに是非にとお願いするのは、私の語りやディナーショーに向けて500円玉貯金を今からでも遅くないですしてください。
意外にこれが貯まるもんです。
それからちょっとした倹約ね。
本当に無駄な事に使ってますから。
私自身は何十年も500円玉貯金をしてお年玉をという、これを続けてますから。

段々段々お年玉もね、2000円だとか喜ばなくなっちゃってね。
う~ん、、少ないけどねって言ったら、ホント!って言われちゃいました(スタジオ爆笑)

で、この~7月に2000円札が出たんです。
小渕さんがいた頃ですこれ。
表が首里城の守礼門で、裏が紫式部と小野小町というなんだかわからないデザインで。
これ沖縄名護市でサミットがあったもんですから非常に和やかだったと言って(スタジオ笑)
これが大失敗作。
もう世紀の失敗作でしょう2000円は。
その時覚えてますもの、3000円だったらまだ良かったんですよ。

というのも祝儀不祝儀のときに2000円って駄目なんですよ。
3000円ならちょうど良いし、使い勝手も良いんですよ。

ところがこの時、自動の改札も何にも2000札に対して対応しなかったんです。

そういうものが世に出回るはずがなくって、結局今2000円札なんか出してごらんなさい、嫌がられますから、使い道有りませんって。
もう天下の大失敗作ですこれ。

もうあの時に天下の大失敗作だって言いましたからね、忘れもしません。

そんなときのこの人がデビューしてこのスタジオにやって来ました。
凄かったですよ全編話がトンチンカン。
最終的に何やりたいって言ったら演歌歌手ではないようなことを言ってましたから。
ミュージカルやりたいとか訳分かんないことを言ってましたから。
そこまで私も売れるとは思ってなかった、箱根八里の半次郎氷川きよし
箱根八里の半次郎 氷川きよし

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