日高晤郎ショー・みとせの流行り歌1989年 その1
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☆日高晤郎ショーの1コーナー「みとせの流行り歌」七回目の記録
昭和64年
1989年。
昭和64年です。
覚えてらっしゃいますでしょ。
大事な年です。
昭和天皇御崩御。
これで元号が変わって平成になった。
で、その時の総理大臣はそれでお亡くなりになってますから、小渕さん。
小渕さんの顔、今でも覚えていますもん。
十両以上の力士がいない親方みたいな顔でね、あの平成って文字を出して。
平らかなりって言うけど、そうは行かなかったね。
昭和よりきつくなっちゃいましたものね、今は。
たった一度の晤郎ショー中止
で。
たった一回だけ。
三十年晤郎ショーをやって、たった一回その理由で休みになった一月七日でした。
有りませんって言われたのは七時ちょっと前かな。
全員支度ができて、私も和服。
で、紋付き袴付けていて、さあホールへって言う時に、ホールのお客様全員お帰り頂いて。
その前からずっと下血が続いていたとか、まぁよろしくないものがずっと入ってきていましたし、もしもの事があれば歌舞音曲は二日か三日停止するというそういう形ではありましたし。
まぁその前の事から、東京のオーケストラが北海道でこっそりと葬送の曲を録音していたとか、そういう事も間近に見ておりましたので。
ああ、よろしくないんだなぁと覚悟はしていましたが。
川の流れのように
で、まさに昭和64年は、昭和の死でもありました。
何故かというとこの年に、松下幸之助さんもお亡くなりになってる。
94歳と言う。
そして何よりもかによりもと言ったら、これは昭和天皇に失礼な事だからという事は別にして、私が子供の頃から私の人生すべてを懸けて、この人が居なくなると本当の意味での昭和の終わりだなと思わせられたのがこの人です。
52歳の人生でした。
美空ひばり。
美空ひばりさんの舞台を十三か四の時に見て、俺は芸能の世界で生きようと思ったんですよ。
川の流れのように。
まさにその通り、美空ひばり。
この曲も昭和64年。
こういう時に人生って言葉で歌わせる秋元康の胡散臭さというかね、なんか私は彼に気を許せないなというね、同じこの世界に居てね、優れた人とはとても私は思えないんだけれども。
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