想い出のジューンブライドと、さだまさし
☆日高晤郎ショー・ラストメッセージBGM
想い出のジューンブライド。
この曲が流れて、幾つかのお便りやメールやFAXが読まれて、街の灯りに移る流れ。
晤郎さんファンなら、今でも大切にしている一曲であるし、それぞれに想い出の場面のある曲に違いないですよね。
その想い出のジューンブライド。
作曲は、先日お亡くなりになれらた服部克久さんだったなんて、私が知ったのはつい先日、このblogの調べ物をしている時。
< 服部克久さん(2020年6月21日投稿記事)
服部克久さんのCDにある原曲は、晤郎ショーでかかる同曲と少々イメージが違う。
このリンクのアルバム試聴の三曲目がそれ。
リンク張っておきます。
想い出のジューンブライド(視聴)
試聴の3番目を押してみてください。
ね、これすですよこれ!!
しかし嬉しい衝撃でした。
ウィークエンドバラエティ日高晤郎ショーの一部に、服部克久さんが関わっていただなんて。
(勿論、直接の関係とか、そう言う意味では無いですよ。)
☆服部克久さんと、さだまさしさん
かつて。
さだまさしさんファンにとっては、暗黒の時代があった。
勿論、さだまさしさんご本人にとってもそうだったのかもしれない。
作る歌ごとに起こる批判。
それは多岐に及ぶ。
軟弱・マザコン・女々しい・暗い・女性蔑視論者・右翼・左翼、etc。
この時代、私達さだファンは、隠れまさしファンとなった者も多い。
普通に「さだファンです。」と言うだけで、「わ、そうなの、あ~そう」などと突然なんだか妙な憐憫の情をかけられたりするのだ。
だからファンも、隠れるワケ。
批判の真っただ中、さだまさしを公然と支えて下さった方も、当然居る。
その一人が、名作曲家であり名編曲家でもある服部克久さん。
「さだの音楽は、ただキレイなだけ。」という批判に対し、こう仰った。
「音楽はキレイでなければならない。また、キレイでない音楽はいらない。」
キレイ、つまり綺麗。
曲もそうだが、さだまさしさんの使う日本語に私は惹かれていた。
綺麗な日本語を使う人への多くの批判。
つまり私は日高晤郎さんに出会う前に既に、晤郎さんファンになる素地はできていたのだ。
話しは戻って。
「音楽はキレイでなければならない。また、キレイでない音楽はいらない。」
服部克久さんがお亡くなりになった時、さださんはこの言葉を引用して、服部さんを語っていた。
当時の隠れさだファンの多くは、そのエピソードに胸を張ったはず。
また、さださんはお別れの時、こうも仰っていた。
「服部克久さんは、私の恩人であり、師匠であり、兄貴分であり、大親友でした。大好きな大好きな人でした。」と。
晤郎さんを失ってから二年半。
どこか重なってみてしまった自分がいました。
☆服部克久さんと日高晤郎ショー
想い出のジューンブライドが、どういう経緯で日高晤郎ショーラストメッセージのテーマ曲に選ばれたのかは不明です。
ですが、晤郎さんの感性に合わなければ採用もされないはずですよね。
「音楽はキレイでなければならない。」と言う服部さんの楽曲が、日高晤郎ショーで用いられていたというのは嬉しい。そうか、服部克久さんは、私が大好きなお二人に関わってらしたんだと、宝物発見の気分。
このCD、買います。
買って、たまに土曜日の夕方4時35分に聴きます。
音楽って不思議です。
気持ちと思い出と背景と、ピタッと一致した時には、とてつもない力を発揮するんだと改めて知りました。
私にとって、特別な一曲となりました。