☆「日高晤郎ショー 最後の日」あれから2年、3月24日
☆記憶と資料が、散らばり消え去る前に
この投稿の大本。
晤郎さんが作ったウィークエンドバラエティ日高晤郎ショー最後の日から、今日でちょうど2年となった。
早い。
急がないと、急速に晤郎さんの色んな情報や資料が永遠に失われて行くだろう。
勿論、残るべきものは残るが、関連資料はあまりに膨大。
私にできる事、そしてできない事。
きちんと積み上げて、形として残して行きたいと改めて思う。
当時、もうこれで最後との思いがあまりに強く、また聴くことへ全力を集中したために、今悔やまれることがある。
こうしてブログを書いていくと気づく。
なぜその時の写真を詳細に撮影しなかったのか。
☆まだ2年、もう2年、始まりの2年目
さすがに、最後の放送を細かく聴きなおして文章にしていく作業は、予想以上にきついものがある。
精神的に、という話。
でも、やり遂げます。残りあと1時間分。
次から、4時台の始まり。
こうして文章化しておけば、いつの時代かどなたかの役に立つかもしれない。
、、、立たないかもしれない。
でもいずれにせよ、日高晤郎さんの一部の情報は、次の時代に伝わるだろう。
今は、ただそれだけを信じて、パソコンのキーを叩いてる。
改めて、2年。
まだまだ他にも、残したいことが沢山ある。
ちょっと大変だけど。
けっこう、流れが見えつつあるかな。
だって、私なりにではあるが、日高晤郎さんを残せてるんだもの。
和彦様。
本当に本当に長い時間がかかってしまいましたが、このHPに巡り合うことができました。
もともとは道内、現在は関東在中のものです。晤郎ショーとの出会いは高校時代。関東に行ってからも雑音の中で、そして近年はラジコで晤郎さんの言葉に耳を傾けていました。ただ最後の放送日だけは…どうしても聞くことができず、聴ける期限ギリギリの深夜にタイムフリーで聴くことになりました。しかし最後の四時台を聴くことができないまま期限を迎えてしまい…
あれが日高晤郎ショー最後の放送になるとは思いもしないまま、晤郎さんの言葉を知ることもできないまま、月日が流れました。
つい先日STVラジオで二週にわたり放送された「晤郎ショー」特集番組を聴き、改めて晤郎さんの声の力を感じ、様々な晤郎さんに関する記事を検索する中で、こちらのHPを知ることができました。
最後の放送のスタジオの息遣い、その廊下での緊張感…そしてそして晤郎さん。晤郎さんの命…笑顔、怒り、やさしさ。
読みながら、涙があふれてあふれて。
書き起こすだけでも大変だったことでしょう。また現場しか感じられない所感を添えていただき、本当に感服しました。
このHPに巡り合えて幸せです。ありがとうございました。
あきひろ様。
温かいコメント、心底嬉しいです。
あの日のこと、少しでもお伝えできたのなら幸いです。
これからもまだまだ、私が見て触れた日高晤郎さんのことを書き綴っていきますので、お時間の許されるときにお気軽に覗いてみてください。
私の拙文を通して、本当の晤郎さんファンである「あきひろ」様を当時のスタジオ見学に誘えることができたなら、こんなに嬉しいことはありません。
また、今後。
最後の放送の1週間前と2週間前の計18時間分も記事にする予定です。
放送には載らなかった現場の風も、微力ながらお届けできればと考えております。
そしてあきひろ様の今回のコメント、記事にさせていただきますね。
記事の分類は「晤郎さんファン」記事のシリーズは「晤郎さんファン列伝」です。
そこに私の気持ちも添えて。
あきひろ様の今日が、どうぞ佳い一日でありますように。
心より、有り難う御座いました。