芸談~芸に終わりなし

☆浮世に言い忘れたこと

2018年の4月に、ラジオ話芸人の日高晤郎さんが旅立たれてから、もうすぐ5年になりますね。
あと1年で七回忌。
なんともはやこんなに時間が早いんでは、自分なんて明日命を追えるかもしれないなだなんて気づいて、なんだか朝ごはんをドキドキしながら食べたりしてます。

私なんかは根がいい加減だから、毎日なんとなく過ごしてしまって気が付いたら死んでそうです。
これじゃいけないなと、毎朝5分程度、お茶を飲みながら「さてこれからどう生きよう」と考える時間を作っています。
案外これは効き目があって、結局は「生んで下すって有り難う。支えていただいて有り難う。」というとこに行き着くんですね。
そうすると、よし今日も前向きに頑張ろうとなる。
、、、根が単純と言い換えられるのかもしれません。

前向きになって変化したことの一つが、読書量ですね。
生きてるうちに読んでおかなければ損だ、なんて思うようになりまして。
まぁ、老眼鏡を新調したのも重なって、まあ進む進む。

さて久々に、六代目三遊亭圓生さんの本「浮世に言い忘れたこと」から。
六代目三遊亭圓生 浮き世に言い忘れたこと

噺家(落語家とも言いますが、本来はこの文字「ハナシカ」が正しい)さんに必要なものは?という話。
以下要約抜粋。

☆品位の大切さ

落語という芸は、衣装はつけず背景は無し、道具と言ったら扇子と手拭いだけで、しかもいったん座布団に座ったら、ここから出ることができない。
それだけに何が一番必要かと言ったら、やっぱりそれは品位と言うことになりましょうね。
品というものが無くてはいけない。
絵でも何でも、よく言いましょ。
「上手いけれども、なんかこう、品がない」
それじゃ困るんですね。

品というのは、その人が持って生まれたものもありますが、普段の自分の心掛けが大きく影響しますから。
その人の心掛けと修養によって、身についてくるんですな。
六代目三遊亭圓生 浮き世に言い忘れたこと

本当の日高晤郎さんファンと呼ばれる人たちも、晤郎さんの毒舌だとか、会話のテンポだとか、笑いだとか、そういうものの向こうにある晤郎さんの「品位」に惚れ込んでいましたからね。
なるほど、話芸の種類は違えども、ということに気づかされつつ、私たちファンは幸せだったなぁなんてことも気づかされてる昨今です。
明日もこの本から書きますね。
では今日も皆様、佳い一日でありますように。

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