日高晤郎ショー・みとせの流行り歌1986年 その2
☆名曲の生まれた年
76年ぶりにハレー彗星がやってきたのもこの年。
私は九州の実家の庭から、肉眼で見てました。けっこうしっかり視えてましたよ。
他には、ファミコンのドラゴンクエスト発売もあり、レンズ付きフィルムカメラ「写るんです」(富士フィルム)、映画はトップガン。
それと、青函トンネルで北海道と青森がつながったのもこの年。
国鉄がいよいよ分割民営化を前にして、最後のダイヤ改正を行ったのもまた、この年でした。
晤郎さんはこの時このコーナーで「新人類」を挙げてらっしゃいますね。
分岐点だったって。
ここで団塊の世代がポンと切り離された時代だったと仰ってます。
そしてこの世代が変わる切なさが演歌にも宿ると話しておられますね。
そうして古典文学のような歌が生まれましたと。
天城越え。
この歌は、松本清張の短編小説「天城越え」とその映画化された作品やその流れを知らなければ理解できない難解な歌になってます、と晤郎さん。
しかしこういう歌がしたたかな命を持った演歌に変わっていったのは、石川さゆりの力でしょうね、とも仰っています。
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歌が一番でフェードアウト。
晤郎さんのトークは、今年の三原山噴火と、STVへの水越ディレクター入社を挙げてます。
さてこの年、浪速演歌の中に北国演歌が切り込んだとも仰ってます。
さんざ面白いことをやって、果ては自分の芸名まで笑いに変えて、起死回生の俺の本筋を聞かせてやると出した歌で、彼の名前が演歌の大きな看板にまで変わりました、と晤郎さんの誘いで、、、。
フルコーラス、番組では流れました。
やはり、沁みる歌ですね。
雪國を聴き終えた後、晤郎さんはこう仰ってます。
売れる歌には、やっぱり売れる理由があるね。
追いかけて追いかけて追いかけてと、言葉を3つ重ねる手法はこれまで使わなかったんですよ、普通だったら2つで止める。
この辺が、上手い。
ただ、、、問題は、、、、会いたくて夜汽車乗るデッキの窓に止めどなく頬伝う、、、ってあるけど、デッキには窓無いだろ。
あすこ、連結器だから。
あすこに窓があるんだったら、普通に長い列車だろ。
、、、、これは次の年の問題として置いておこう(スタジオ笑い)
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という訳で、久々のみとせの流行り歌。
またなるべく早めに、次の1987年に取り掛かるつもりです。
天城越えも、雪國も、私にとって祖母と一緒に聴いた歌。
今でも、沁みます。