日高晤郎ショー・みとせの流行り歌1987年 その1

日高晤郎ショー番組開始30周年記念として、期間限定のコーナーとして始まった「みとせの流行歌」(みとせのはやりうた)
第五回目は、1987年。
昭和62の流行り歌です。

この年は、STVラジオ開局25周年。
四半世紀を超えた記念の年でありました。
そしてこの年に、ウィークエンドバラエティ日高晤郎ショーは、9時間枠になりました。
また、アシスタントは、二代目の元起美由紀さんから三代目の小柴純子さんにバトンタッチ。

晤郎さんはこの時から一度も、9時間を長井と思ったことが一度も無いとおっしゃっています。
そしてこの年、晤郎さんの語りは、あの「峠道」
民放のグランプリ受賞作品。
語りだけでの受賞というのは、近年になかった快挙でした。

社会では、日本初のエイズ患者が神戸市で確認されるも3日後に死亡。
患者は女性でしたが、100名近い男性との性交渉があったことで神戸市中心にエイズ・パニックと呼ばれる現象が起こりました。
映画では、伊丹十三監督の、マルサの女。

さて、晤郎さんが選んだこの年の最初の曲は、瀬川瑛子さん「命くれない」。
瀬川瑛子 命くれない

国鉄が、分割民営化されたのもこの年。
そして北海道では、愛国駅と幸福駅のある広尾線が廃線になった年でもあった。

晤郎さんはこうも仰っています。

「この年は、この線は私にとって永劫の線だなと思ったのは、美空ひばりさんと芸人日高晤郎の線。
この人が居る限り、この人が神になっても私は一人芸でお客様をおもてなしする稼業に命を懸けたって惜しくはないと思わせていただいた天才との、別れが近くなった年です。

病み上がりにこの曲を船村徹さんは、星野哲郎先生がお書きになったその時に、あ!覚悟しとかなきゃと思いました。
今聴いても哀しい曲です。
みだれ髪、この年のヒット曲。」
美空ひばりさん

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