高千穂民謡~がまだせ節について

明日からの旅の途中で、九州の中央部にある高千穂町にも訪れる予定です。
こちらは、神話の古里とも呼ばれており、昔からの観光地。
私の好きな神社も点在しておりまして、こういう旅を存分に楽しむには、やはり事前に下調べが必要。

そこで高千穂の民謡?である「がまだせ節」を聴いていましたら、家内が気に入ってスマートフォンに録音。
余りに気に入りまして、ほぼエンドレスでかけていましたので頭がグルグルしてきました。

と、ここで気になったのが歌詞です。

方言が強くて、意味が分かるようで全部はよく分からない。

私はこういうのはもうハッキリさせたい性分ですので調べました。
がまだせ節 レコード

調べたけれど、歌詞がどこにも載っていないのです。
なんでも、盆踊りとかによく使われていて、地元では良く知られた歌なのだとか。
気になる、、、神話の古里で息づいている「がまだせ節」
歌詞に、日本神話のアメノウズメノミコトが織り込まれているのですから。

ここで引き下がっては、日高晤郎さんファンとして恥ずかしい。
私の中の晤郎イズムが燃え上がりまして、昨日、高千穂町の観光協会に電話。
歌詞を伺ったら、分からないと言う。

そこで、ここならばと紹介された高千穂町企画観光課に電話。
電話対応して下すった主事のKさんも、歌詞はご存知ないと言う。

歌詞がよく分からないのに、曲は広く知られているって、、、。
私の心は、人参を見つけた空腹の馬状態。
がまだせ節 レコード

そこでKさんは一旦電話を切って、関係各所で調べて下すったんです。
そうしましたら資料として、がまだせ節のレコードが保存してあるのが分かり、そこに入っていた歌詞カードをデータで見せてくださいました。

これは貴重。
レコードの歌詞カードですから、文字に間違いがありません。
Kさんには心から感謝です。

歌詞を作ったのは、宮崎県の小説家、黒木さん。
歌詞の意味をお伺いするには、ご本人に直接聞くのが良いのですが、残念ながら黒木さんは2009年にお亡くなりになってらっしゃいました。
がまだせ節 レコード

作詞されたのが黒木さんで、1924年にお生まれになっております。
ということは、がまだせ節が作られたのは、早くても1954年。
またはそれ以降という事になり、つまり民謡としては比較的最近できたものというのが分かります。

そしてなんと、歌っているのが大月みやこさん
口紅が~濃すぎたかしら~の大月みやこさん。
何と私が応援している晤郎さんファミリーの末娘?
田村みなみさんの番組、イイ唄イロイロ歌謡曲第七回めのゲストだった大月さんでした!!
これは燃える。
調査意欲に一層火が付きました。
< イイ唄イロイロ歌謡曲・第七回

大月さんの歌手デビューが、1964年。
私の生まれが1963年ですから、がまだせ節は、私が生まれてからの曲となります。
ということは、がまだせ節誕生は、黒木さんからの推察時よりさらに10年くだって1964年以降の誕生と分かりました。

もしかしたら1973年3月に、「宮崎ブルース」という歌をリリースされていますので、そのキャンペーンで訪れた高千穂町で、新しく民謡を作るので是非歌ってほしいという流れがあったのかも?と想像。
これはあくまで私の想像です。

ちなみに、大月みやこさんの公式サイトに、がまだせ節の記録は一切見当たりません。
なので、タイアップで歌われたのだと思います。

もしこのタイアップ説が正しいなら、1973年~1975年あたりで、がまだせ節誕生となるのではないでしょうか?
大月みやこ

昨夜、頂いた歌詞を読みこんでいたら、分かったことが多かった。
それで、これはここで記事にしたいと思ったのですが、明日から旅の始まりです。
もう時間がないので、続きは旅から帰ってやることにしますね。

さすが、小説家が書いた歌詞です。
面白い。

ただ黒木さんは西都市出身で、そちらの育ちですから、高千穂地方の方言が血肉となっていたわけではないでしょう。

多分、作詞を町から依頼されて、地元の言葉を活かしたいと聴き取り調査をして、その土地の文化的背景を織り込んで物語にしたはずです。

あ~~面白い。
さてさて続きは、旅から帰っての今月下旬あたりに、数回に分けて歌詞分析していきます。
ご興味ある方は、どうぞお楽しみに。
がまだせ節 レコード
さて、旅準備、旅準備。

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