日高晤郎ショー・みとせの流行り歌1987年 その2
☆石原裕次郎さんとの別れ
※美空ひばりさんの「みだれ髪」ツーコーラス目をBGMに、晤郎さんの語りをそのまま「」内に書き起こします。
晤「芸人との別れは幾つも幾つも経験し、これからもまた残り数年、幾つ私にそのチャンスを与えてくれるか分からないけれども、それは私が生きるというチャンスです。
でも心が一つずつ死んでいきます。
それは、良い芸人との別れですね。
世に天才という芸人はいっぱい居ます。
美空ひばりさんはそうでした。
だけど、存在の天才というのはそんなに居るもんじゃない。
まさに存在の天才が亡くなった年でもあるんです。
昭和62年というのは。
1987年7月17日。
実に近いです、我が雷蔵先生と。
石原裕次郎との別れです。
裕次郎さんはこの年に、加藤登紀子さんがお書きになった『我が人生に悔いなし』という歌を歌われた。
、、、失敗作です!
お登紀さん、こんな歌作っちゃいけませんよね。
で、ご本人、もう歌う力が無かった。
だけどその前に辛うじて出したのが、石原裕次郎の世界を作ることができた。
それがこの曲です。
※ここでイントロが入る。
1987年7月17日、石原裕次郎死す。
でも、死してもなお存在を残して。
『兄弟!
お前は凄いよ。
生きてて死んでる連中が多い中で。
兄弟!
お前は死んでまた生きたんだもんな。
敵わないよ。』
弔辞、勝新太郎。
死者、石原裕次郎。
永遠の別れではありました。
北の旅人
石原
裕次郎」
※フルコーラス
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