日高晤郎語り芸・紺屋高尾・私の初回

☆話芸七色八面体~縁と絆の40年

私が日高晤郎さんの紺屋高尾に初めて触れたのは、札幌メディアパーク・スピカで行われた「話芸七色八面体~縁と絆の40年」でした。
私の日記に残っているのは以下の通り。

2000年4月20日木曜日、スピカ落成記念として行われた話芸七色八面体は19時から22時近くまで。
充実の3時間。
ゲスト、坂本サトル・安田一葉・石川一男社中・石川一。

スピカビジョンに映される「縁と絆の四十年」という作品。
日高晤郎さんの話芸は、東海道五十三次宿場町の口上。外郎売。
そして語り芸としてダイジェストで披露されたのが、紺屋高尾・松風の門・桂文京伝。

ダイジェストと言えど、初めて触れる語り芸の紺屋高尾に滂沱の涙。
この瞬間、私は「日高晤郎さんの」紺屋高尾に惚れたのでした。一途な恋が一途な愛へと昇華を遂げるこの話。
チケット代2000円、とても安く感じました。

☆私の心に根付いた日高晤郎さんの、紺屋高尾

日記を読み返して気付きます。
私の体内に、今もそこで手渡された「誠」が息づいています。
あの時感じた衝動「日高晤郎さんの紺屋高尾を、ダイジェストじゃなく丸ごと全身で感じてみたい。」
それは強い夢にもなって行きました。
そしてそう、その夢はやがて叶うことになるのですが。

☆紺屋高尾と、晤郎さんファンのNさんの思い出

あの日、開場待ちのスピカ前で撮影した写真を見つけました。
ホール公開で知り合ったNさんとのツーショット。
晤郎さんファンというだけの接点。
でも、とても良くしてくださいました。
こうして晤郎さんのイベントで顔を合わせると、たくさん晤郎さんの事で盛り上がったりしました。
中村さんは独り暮らしの中村さんがお亡くなりになったのは、この日から3ヶ月後。
晤郎さんファンとの、初めての悲しいお別れ。
そんな思い出も、私の初めての紺屋高尾の思い出に重なっているのです。

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