晤郎さんと、私の娘と。~part1

親が晤郎さんファンで、その影響で子供も晤郎さんファンになるというのは良く有る話。
我が家も例外ではなく。

☆私の娘が日高晤郎さんに会った話

娘が中学三年生の時、「お父さん、私を一緒に晤郎ショーのスタジオに連れて行ってくれない?」そうお願いされた。
進路や、娘なりの人生の悩みがあったようだ。
遊びで行くつもりならお断りだよと伝えたが、娘は真剣に晤郎ショーに触れたいのだと言った。
その目はまっすぐだった。

まず礼儀として、私がお手紙という形で晤郎さんに娘の件を伝えさせていただいた。
そして娘とのスタジオ見学当日。
晤郎さんは娘を大歓迎してくださり、CM中も道に迷う娘に的確なアドバイスを山のようにくださったのだった。

その後の娘は、晤郎さんをラジオの人としてでなく、人生の大先輩として敬意をもって見つめるようになっていった。
数回のスタジオ見学、語りの会、明日への贈り物part1、クリスマスパーティ。
娘の宝物も、そうして増えていった。

☆高校卒業、そして次のステップ

高校の年次が上がるにつけ、当然娘は忙しくなる。
晤郎ショーにも行きたいけれど、中途半端に会いに行くのは晤郎さんにも失礼と自粛していく。
私はそんな娘の判断を理解できた。
その判断は、今でも正しいと思う。
そういう内容と娘の近況は、晤郎さんに手紙として伝え続けさせていただいた。
晤郎さんは、すべてを理解したうえで、折に触れて「娘さん、元気?」「そろそろスタジオにも遊びに来るように言って」と仰ってくださっていた。

娘は娘で、戦っていたのだ。
その戦いは晤郎さんがお亡くなりになった2018年4月に、ようやく終わりを見せた。
なんとも悲しい符号である。

☆娘との「縁結び・夢結び」打ち上げ誕生会

7月に行われた、こおり健太さんの「縁結び・夢結び」。
それは、日高晤郎さんの三回忌の意味合いもあるということで、娘も絶対に行きたいと意思表示してくれていた。
延期のたびに、都合をやりくりし、無事参加。
私たち親子も例外ではなく、こおりさんの晤郎さんへの思いあふれたステージに涙涙。
スタジオ常連さんも、私の娘を覚えてくださっており、たくさんご挨拶させていただいた。

さてその当日は、互いに時間もなく、泣きはらした目のままお茶をして別れた。
そう、娘はとっくに一人暮らしを始めている。
私から、自立しているのだ。

晤郎さんのこと。
「縁結び・夢結び」のステージのこと。
これまでの人生のこと。
これからの人生のこと。
そんなことなどゆっくり話をしたくて、私の誕生祝を兼ねた食事会を娘が開いてくれることになり、先日街に出た。
これは、上記の理由で「縁結び・夢結び」の打ち上げも兼ねた会でもあった。

< 晤郎さんと、私の娘と。~part2へと続く。


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