春風亭一之輔さん①

☆話芸としての笑点

札幌ではSTVが放送している笑点。
日本テレビ系というんですか?
そこんとこは私、良く分らないんですが。
笑点
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その笑点の大喜利出演者に、春風亭一之輔さんが加わることになりました。
つい先週から。
春風亭一之輔

私が近年落語に熱を上げてるという話はすでに書いてますが、その始まりは、勿論、日高晤郎さんの話芸です。
晤郎さんの話芸を聴きこむうちに、六代目三遊亭圓生という人の落語に辿り着きました。
この圓生さんが、また凄い方なんです。
圓生百席は、これはもう日本話芸文化の一つの財産なんですね。
六代目 三遊亭圓生

さて、話は笑点。
古い番組ですね。
確か1966年の始まりだから昭和41年ですか、番組が始まったの。

私はまだ3歳ですから、そんなおじいちゃん番組見てるわけないんです、覚えていない。
初代司会が、立川談志。
談志さんが中心になって作り上げた番組なんですってね。

今にして思うと、落語会を古い文化として朽ち果てていく流れを変えるため、寄席をテレビ界に持ち込んだ画期的な企画だったと分かります。
ですが、ウルトラマンとかと比べると、子供にとってはおじいちゃん番組でした。
笑点

司会で私の記憶に初めて登場するのが、南伸介さん。
恰幅が良くて、なんか始終暑そうなじゃべりをされる方で。
南伸介さん 笑点司会

この時期の笑点は、寄席ってこんな感じなんだろうなという構成。
曲芸があって、奇術があって、切り絵があって、講談も落語もあった。
確か二部構成か三部構成だったんじゃないかと思います。
座布団運びが松崎真さん、「手を挙げて、横断歩道を渡りましょう」でしたね。
松崎真さん

笑点は今じゃ、ほとんど大喜利が占めてるようになってますが、その大喜利。
初回から続いてる企画なんですって。
立川談志さんってやはり凄い人なんだって、こういうところからも分かります。
まぁ私なんかのヒネクレ者は、この大喜利の雰囲気を段々舐めて、まぁ仲間内のおふざけと映ってしまって、最近じゃ全く見てなかったんですが。

昨年、圓楽さんがお亡くなりになって。
圓楽さんは、圓生さんの孫弟子。
圓生の名跡を何とか引き継いで、後世に伝えようとされてましたから、なんとも残念で。
六代目三遊亭円楽さん

そして今回、圓楽さんの空いた席に入られたのが、春風亭一之輔さんというわけで。
笑点を全く最近は観なかった私が、先週の新出演者発表ではテレビ点けてました。
もしかして一之輔さんかも、と。
そうしたらあなた、本当に出ておいでになったときは本当に驚きました。
どこかで、そんなことはないだろうなと、自分の予測を疑ってたんでしょうね、きっと。
いやほんと、驚きました。
春風亭一之輔

一之輔さんの登場で、話芸の場としての笑点が再び脚光を浴びるようになるんじゃないかと、期待も膨らみます。

と、いうわけで前置きが長くなりました。
明日、春風亭一之輔さんについてのブログ本編を書きますということで、本日ここまで。

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