日高晤郎ショー・みとせの流行り歌1997年 その3
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☆ 日高晤郎ショーの1コーナー「みとせの流行り歌」十六回目の記録
この三月一日に大阪ドームができた。
現在の京セラドーム、名古屋ドームだとか。
段々段々球場だとかこういうものがドームに替わって来て、イベント会場にもなってきたという時代の移り変わり。
一月には女子全豪オープンテニスでマルチナ・ヒンギス。
もう今出て来ませんねぇ。
黒人の姉妹だとかこういうのが出てきて。
あの時は史上最年少の優勝16歳3ヶ月。
ゴルフの世界も19歳とちょっとって言うのが急に出てきましたから。
こういうのが出てきて、どんどんどんどん年少化が進むって言う、そんな時代ではありましたね。
それからサッカーだ。
この頃は日本代表がアジア代表選でイランに勝利したって。
この時も言い方があって、ジョホールバルの歓喜って。
誰も覚えてねェじゃねぇか!
この頃の監督が岡ちゃんって言われた岡田ですよ、のちのコンサドーレの監督。
まぁそんな時代ではありましたね。
ちょっと岡田さんとは紹介しようかって話がありました、パークホテルに泊まってましたから。
いいですって断りました、切っ先が鈍るから。
そういう意味では番組で、よろしくも言ってないし。
顔形から言って私の好みではないんだっ感情論で言ってる。
それでヘラヘラと笑って、よろしく~とか、監督~って私は口が裂けても言えないんで。
それで、いいですって言って。
惜しいことしたな~とか、大人げないことをしたな~、いやでも俺は俺の生き方があるからな~って表に出たら寒かったです、冬でしたから息が凍ってホワイトブレスTMレボリューション
1997年、また再び上がろうとしているけど消費税率が3%から5%に上がった。
あれからずっと来て、7とか8とか言われてるでしょ。
で、10月にトヨタがハイブリットのプリウスが誕生したのもこの年だし。
だけど誕生だけでなく、破綻もありました。
拓銀、11月17日。北海道拓殖銀行破綻です。
まぁ動きますね世の中は。
その頃世の中で何が流行っていたかというと、たまごっち。
最後に中村珠緒さんが出て、たまおっちというのも売ってましたから。
そして最近また売れてるって?
まぁ一種の社会現象ではありました。
で、この年に流行っていた歌がこれなんですが。
これ、のモデルになった人ってのは叶玲子さんって仰る。
これがなぜも出るという話になると、NHKの連続ドラマでね。
この歌が当然この年の紅白に出ましたよ。
だけど現実はって言ったら道頓堀の通天閣の通天閣劇場。
そこで叶麗子が歌っていた
あすこが通天閣歌謡劇場って言うんですが。
ただ違うところでやるって話がありますね。
プロデュースしていた方が市民劇場を作る、で、まぁ大阪のスーパースターなんだ叶麗子は。
うん、だから通天閣の歌姫って呼ばれてますから。
まだご健在ですからね。
良いじゃないですかこういうのも。
その土地その土地の力って言う。
大阪人はこういう事やるんです。
だから天童よしみだって中村美津子だって、売れてなかったわけではなくて、大阪では天美津戦争って言って互いのファンが絡み合うようにして物すごい熱があったんです。
夫婦みちオーロラ照子
この朝のドラマって、ふたりっ子。
ということはマナカナかい?
そうだよね、アンドレアフ・マナと、グーテンベルグ・カナ(スタジオ笑)
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