国葬の美しい日本語②

☆菅義偉前総理弔辞②

※菅義偉前総理弔辞①より続く

平成十二年、日本政府は北朝鮮に米を送ろうとしておりました。
私は当選まだ二回の議員でしたが「草の根の国民に届くのなら良いが、その保証が無い限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って自民党総務会で大反対の意見をぶちましたところ、これが新聞に載りました。

すると、記事を見たあなたは「会いたい」と電話をかけてくれました。

「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい。」とそういうお話でした。
信念と迫力に満ちたあの時のあなたの言葉は、その後の私自身の政治活動の糧となりました。
その真っ直ぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は直感しました。
この人こそは、いつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。

私が生涯誇りとするのは、この確信に於いて、一度として揺らがなかったことであります。

総理。
あなたは一度持病が悪くなって、総理の座を退きました。
その事を負い目に思って、二度目の自民党総裁選出馬を、ずいぶんと迷っておられました。
最後には、二人で銀座の焼鳥屋に行き、私は一生懸命あなたを口説きました。
それが使命と思ったからです。

三時間後には、ようやく首を縦に振ってくれた。
私はこの事を、菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも誇らしく思うであろうと思います。

総理が官邸に居るときは、欠かさず一日に一度、気兼ねの無い話をしました。
今でもふと、一人になると、そうした日々の様子がまざまざと蘇って参ります。

TPP交渉に入るのを、私は出来れば時間をかけたほうが良いという立場でした。
総理は、タイミングを失してはならない、やるなら早い方が良いと言う意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。
一歩後退すると、勢いを失う。
前進してこそ、活路が拓けると思っていたのでしょう。
総理。
あなたの判断はいつも正しかった。

※菅義偉前総理弔辞③へ続く

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