☆「日高晤郎ショー 最後の日」3時台の裏側
☆命を映すモニター
私は、廊下組の割合先頭に近い位置にいた。そこで見たこと感じた事。
3時台は、晤郎さんの中座が目立った。
それと前後して、スタッフの変則的な動きがたまに起きる。
晤郎さんの容体が一層悪化したのは明白だった。
気付いたファンも多い。
けれど、全く気付かすにただ世間話をしてキャアキャアと笑っているグループも確かに在った。
廊下には1台のモニター。
刻々と変化していく晤郎さんの命を映している。
食い入る様に眺める常連さんグループの、背中は泣いていた。
何人かは、祈る様に両手をしっかり合わせている。
☆廊下の奥から聞こえてきた怒声
「晤郎さんの事だから、絶対に回復して元気に晤郎ショーを続けてくれる」
そう固く信じて疑わない方も、多かった。
おそらく、晤郎さんファンとしてはその考え方が絶対に正しい。
それは分かってる。
私は、晤郎さんファンとしては間違っている。
それも分かっている。
ぼんやりと天井を見つめ、スタジオと廊下をつなぐ埋め込みスピーカーから流れてくる晤郎ショーを脳内に記録する。
私は、間違っている。
それでも重なっていく端々の言葉や、言葉の間や、言葉の抑揚が、確実にお別れが近いと告げていた。
私は間違ってる。
私は間違ってる。
私は間違ってる。
そう繰り返している時、遠くから、それは聞こえてきた。
一人の男性の怒声。
私の大好きな日高晤郎ショーで初めて耳にする言葉、、、
ひたすら、怖かった。
昭和47年から北見から会社の有る札幌に寮生活初めは高校時代から聞いていた北海道放送でした。転勤で本州に渡り、3年後又北海道に戻り稚内で日高晤郎ショ−を聞き始めました。東京の人なのに北海道を大事に、聞いてくれる人を大事にしてくれる素晴らしい人でした。
エンディングの街の灯り、忘れませんよ吾郎さんの声。土曜日のテレビ、吉幾三さんがホテルのパジャマ姿で来て怒った時も。
吾郎さんの語らい、忘れませんよ。
北海道を愛してくれてありがとうございました
残っているテ−プは何回も、何回も聞かせてもらいます。
千葉様、嬉しいコメント、励みになります。
空の上の晤郎さんにも、千葉様の思いをお墓参りの折に必ずお伝えしますね。
ありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。