言葉拾い~2
☆「古本屋のおじさん」になりたいって夢が子供の頃からあって、今も、ある。
四ヶ月ぶりに、言葉拾い。
今回は、「こころによりくもりのちはれ」(昭和63年12月刊)の前書き、まるで夢のようです、からの抜き出し。
晤郎さんが別の人生を歩いていたら、古本屋の主人だったという。
これ、北の出会いで古本屋さんに出会った時に仰っていた言葉。
何故、本屋の主人ではなく、古本屋なのか。
その答えは、この本に書いてある。
つまりは、(晤郎さんの)好きな本に囲まれて、それらを一日読み続けられて、しかもそこそこで充分なので稼ぎもできる。
という事らしい。
なんか素敵。
これが本屋となると、そうはいかない。
仕入れや売り上げに神経を使い、売れ筋も意識しなければならない。
利益を上げるために従業員を雇い、えっちな本だけを立ち読みに来る特定の御仁にハタキを掛けなければならない。
そういうのは、いくら別の人生であっても、我らが晤郎さん人生ではないのだ。
けれどいくら古本屋だからと言って、晤郎さんの古本屋はなんでもかんでも扱うなんとかおふの形態ではつまらない。
御自分の好きなジャンルや作者の本だけを収集し、そういう本が好きな客が立ち寄って品定めをし、店主の晤郎さんに代金を渡す。
そういうお客は指向が同じだから、当然、店主の晤郎さんとは話が合う。
話しが合ったら当然、晤郎さんの事だから話に花が咲く。
だからそういうこと。
晤郎さんの別の人生は、古本屋の主人でなければならないのだ。
私も古本が大好きで、なんというか、自分の好きなジャンルで、以前の持ち主の思いのこもった本にたまに出会う時がある。
古いながらに綺麗に扱われていて、特に入念に読まれたページには開き癖が付いている。
特にこれが、世の中にもう出回っていない本の場合、愛しくて仕方ない。
ある時、スタジオの廊下で晤郎さんに話しかけられた。
「和彦さん、この前の古本屋に行ってみた?」
例の北の出会いの古本屋さんの翌々週だったと記憶してる。
そこで、明日を運んだ旨とその開き癖の話を、5秒ぐらいの時間でお伝えしたら晤郎さん、何とも素敵な笑顔で一言。
「ですよね!」
それだけの会話だったけど「ですよね!」の短い言葉が凄く嬉しかった。
晤郎さんもそうなんだ~~~~♪って、それからその日一日、私は舞い上がりっ放し。
その時「ですよね!」の言葉の肩越しにハッキリ見えた古本屋への夢。
多分、「超多忙なラジオ話芸人・日高晤郎」の反対側に、時間に追われずのんびりと好きな本に囲まれた人生を夢見ていた晤郎さんが秘かに常にいらっしゃったのではないか。
その、秘かにもう一つの夢を持ち続ける大切さ。
どこか少し切ないけれど、これも晤郎さんの心の強さの一つだったのだと思う。