☆「日高晤郎ショー 最後の日」スタジオに入ってこの目で視た事

前より続く

☆晤郎さんの様子、お客さんの様子

スタジオに入ってまず、晤郎さんにご挨拶するために目を見た。
晤郎さんはいつものようにお振舞いだったが、目にいつもの力が無かった。
体は細く、何より声に力が無かった。
そのあと最後尾の席に座らせていただいたが、そこは俯瞰で視られる位置。
晤郎さんの様子は勿論、調整室のスタッフさんの動き、晤郎さんを取り巻く6人の歌人さんたちの様子、スタジオ内のお客さん全員の背中。
なるべく冷静に視ておこうと思った。
日高晤郎ショー最後の放送

全員が、晤郎さんの一言一言に全身全霊を傾けて反応している。
晤郎さんが冗談を言ったら、いつでも腹の底から笑える構えを取っていた。

一緒に笑い、一緒に泣き、一緒に怒り、一緒に作り上げてきた日高晤郎ショーの凄みがそこに在った。
この日ばかりは、心から可笑しくて笑っているのではない。
どこか切なく、どこか苦しく。
でも客観的にこの状況を分析できずにいる不安定感。
多くのお客さんが、そういう位置にいたのではないかと思う。

歌人もそう。
あんな感性の鋭い人たち、この状況でその距離で、相当な戦いもあったと思うし、それは4時台、放送の最後に垣間見える事になる。
客席では、笑いながら涙で顔を濡らしている人も多い。
晤郎さんに分からぬように正面から顔を逸らして涙をぬぐうので、私の位置からしっかり見える。

ラジオからは爆笑に次ぐ爆笑という感じも伝わってきたことだろうが、実際の場ではそうだった。

晤郎さんはどこかで、今日こそ最後かもという感覚のもと、この日の晤郎ショーを積み上げ続けたよう思う。
それは、時々ふっと、言葉の端々に浮き上がってきていた。

バカな写真が一枚ある。
晤郎さんを撮影しようとして、あまりに辛くて悲しくて、でもその空気が愛しくて、座席の足元を撮影した一枚。
第一スタジオ 足元
たぶん、これを見て、誰が何を理解できる?という一枚。
きっとね、冷静には程遠かったんでしょうね。

☆「日高晤郎ショー 最後の日」スタジオでの歌人達へ続く。

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