初めてのクリスマスディナーショーの思い出・パート①

☆日高晤郎さんのディナーショーは異次元別次元、遠い世界だった時の話

私が日高晤郎さんのクリスマスディナーショーに初めて行ったのは、1999年の12月。
今でこそ笑い話だけれど、当時は本気で思ってた。
「私みたいなのがディナーショーに行くだなんて、冒涜以外の何物でもない。」

だってスーツは似合わないし、ナイフとフォークで何か食べるだなんて無理無理無理。
しかも憧れの日高晤郎さんの聖なるステージ。あ~無理、冒涜だって。
(料理写真は2014年ディナーショーの時のもの)

無理無理無理無理、こういうチョコチョコと皿に乗ってる料理なんて育ち悪いから緊張しちゃうんです。
そんな私が何故、畏れ多くも日高晤郎さんのディナーショーに行ったのか、そうなんです、そう、理由があります。

☆私が無謀にも、日高晤郎さんのディナーショーに参加した理由と背景

当時、日高晤郎さんの熱烈なファンの友人が居りまして、その友人が人生の分岐点に立っていた。
そして色々相談に乗っていたのですがその中で、「強くなるために、晤郎さんのディナーショーに行きたい!」と突然宣言。

「おおお、言い切ったね凄いね。」と私。
すると友人真顔で、「一緒に行って欲しい」
???
一瞬何を言ってるのか理解できなかった私。

氷が解けるようにその意味が見えてきた時、先述の理由を全て3回繰り返して伝えた結果、、、
「ディナーショー代、全部自分が持つから、一緒に行って欲しい」
更に余りに真顔で言う友人が、なんか怖かった。凄みという奴である。

怖かったから、「いいよ自分の分は自分で出すよ」と言っちゃったんですね。
あら?俺、今、行くって宣言したの???あらら、、、とそんな感じ。
長くなるので端折りますが、勢いで「行くよ」と宣言したものの、先述の理由から心が付いて行っていなかった、、、

☆迎えた日高晤郎さんディナーショー当日の朝の狼狽

そして当日。
パークホテルを前にした時、本気で足が震えた。

慣れないスーツ着て、パークホテルに着いたのは、ディナーショー開始の13時間前だったっけ。
13時間前ですよあーた。
この時点で挙動不審者だと有名なススキノ交番のお巡り様にしょっぴかれても仕方のない状態。
、、、だって何時に行けばいいのか分からなかったのだから。
でもね、本当の恐怖は、ここから始まったのであります。

※2019年10月11日 裏ブログ「ラジオ話芸人・日高晤郎さんへの手紙」より転載

初めてのクリスマスディナーショーの思い出・パート②に続く

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