息子の旅とキャラメルと
☆旅と、旅行と
先日息子から、旅に出たいと申し出があったと書きました。
今日はその後日談みたいなもの。
もう社会人になる直前ですからね。
そうそうのんびりしてられないだろというわけで、申し出から四日後には旅に出しました。
旅に出すと言っても、ツアーとかじゃないので、一人で組み立てなければいけない。
これは慣れてないと間違うんです。
ただ観光地をポケ~~っと見て回って、ああ心の洗濯ができた~などと自分でも良く分ってないようなことを言いまして、それで終わるという。
まぁ、便宜上ですが、そういうのは「旅行」
今回息子には「旅」をしてほしかった。
極端に言うとですね、旅先で大災害にあったとしても、それを切り抜けるという生命力と判断力を持ってなければダメなんです。
つまりそういうのが、私の言う「旅」
申し出の翌日にはそれを伝えまして、息子も是非それをしたいという。
よろしい、ならば、、、と私の得てきたものの基本だけを伝えて、それから必要な旅装を整えて。
札幌駅から見送りました。
父親として、この瞬間が子育ての一区切り。
なんだかそういう象徴的な瞬間でしたね。
一生残る、佳い旅をしておいで。
列車が見えなくなるまで、見送りました。
☆息子の行き先
やはり船旅は楽しんだみたいです。
人生の分岐点での船旅は、皆さんにも是非とお薦め。
移動するホテルってなもんです。
それと洋上でしょ、陸が無いという非現実感が実に良い。
そして時間もあると、一人旅の場合は自分の人生のこれまでと、これからに思いを馳せられるんです。
ここ、重要。
太平洋上の日の出の写真を送ってくれました。
いやはや、ラインというのは便利ですね。
あら、今そこかいって、なんだか一緒に旅してる気分。
その夕方には、山際に日の入りの写真が届きました、熊本から。
おおお~~陸路で熊本!
しかも最後は初めての道を歩きながら日没の風景!!
よかねよかね、一人旅たいね、やっぱ歩かんとつまらんもんね~などど脳内自動変換の里言葉で思う父。
その夜。
飛び切りの笑顔の二人が並んだ写真。
息子と、昨夏から老人ホームに入所した私の産みの母親。
この日はセント・バレンタインデー。
あ、おばあちゃんに会いに行ったんだ、そうかそう来たか!
あまりに嬉しくてこの夜は、とっておきの日本酒をかなり飲んじゃった父でした。
息子が祖母(私の産みの親)に会うのは、2011年に晤郎さんの紺屋高尾を聴いてそのまま小樽港を発ったあの旅以来。
嬉しかったですねぇ。
ところで。
私が産みの母とこうして連絡とったり電話したり(入所以降最低週一で1時間)してるのは、日高晤郎さんから背中押されたからですから。
2011年の旅から帰って、晤郎さんにご報告。
その後、晤郎さんから「ありがとうをちゃんと伝えてますか?」と問われてから。
そこからなんです。
私が母を「おかあさん」って呼びだしたのは。
生後1ヶ月で離されてますからね。
なんかこっぱずかしいやら、現実感ないやらで、そんなもん呼べるわけないと思ってましたから、いや考えもしなかった。
だから、こうして今でも発展して行ってる母との関係の肩越しにいらっしゃる日高晤郎さんには、本当に感謝してるんです。
☆旅の土産
息子は、祖母の近くで18時間ほど過ごせたと言ってました。
でも実際は、コロナ感染対策や施設の決まりで会えない時間があるので、二人で会えて話せた時間は都合2時間だったようです。
息子が去ってから、母から電話がありました。
入所以来初めて、息子から誘われて近くの森を散策したそうです。
「私の歩調に合わせてくれて、優しい孫と一緒に森の散歩は気持ちよかったよ。」と87歳。
その後、どこかの列車内より、息子からラインが入りました。
「おばあちゃんから、お父さんに食べ物もらいました。」
?
食べ物??
え??
短い旅ではありましたが、こんなに急に人って変わるの、と驚くぐらいに大人になって帰ってきた息子です。
良かった。
社会人直前で、結構大切なことを手渡せたなと手ごたえ。
またこれは日本酒多量摂取容認条件が整ったわいと内心小躍りの私の前に、息子が旅バッグから取り出した、母から私への贈り物。
森永のキャラメルと、ボンタンアメと兵六餅。
あの、、、これら、、札幌でも帰るんですけど、、、。
、、、。
更に、キャラメルって、、、。
おか~~さ~~~ん、もしも~~し、、。お別れして58年、私もう59歳なんですよ~~~
まぁこの叫びは、このブログと、心の中だけに留めておこう。