日高晤郎ショー・みとせの流行り歌2000年 その2

< 日高晤郎ショー・みとせの流行り歌2000年 その1より続く

そして9月になりました。
シドニーオリンピックが開幕です。
日本は金5銀8銅5。
まだこの時は田村涼子ですよ金メダル。

あの最高でも金、最低でも金ってふてぶてしい事を抜かしたんですが、政治家になっちゃった。
それは違うと思うがなぁ俺は。
おめぇ何ができるって話ですよね。
まぁそのうち出来るかもしれないけれども、どうもなぁ。

それから高橋尚子、Qちゃん、これが金メダルですよ。
まぁ色んな所でコメンテーターとして出てますが、、、辛いわね。

それからパタッと出てこなくなったの覚えてます?
田島寧子。
あのメッチャ悔しいって言ってた銀メダルの。
メッチャ悔しいって言ってたあのお姉ちゃんだかオバハンみたいな顔したお姉ちゃんでしたが。

この年に木村拓哉と工藤静香、結婚発表。
ええ。
続いてますよね意外に。
続かねぇかなぁと思ったんだけど、続いてるな。

そしてもう一つは10月ですがね。
ミヤコ蝶々さんがお亡くなりになった。
享年80。
西の人だったら良くご存知。
まぁ東の人でも女優としてはご存知でしょうけど。
元々、南都雄二と、ミヤコ蝶々。
これはミヤコ蝶々さんが読み書きができなかったもんですから、学校ちゃんと行ってないんで。
相棒の雄さんに、これ何という字?これ何という字?って、それで南都雄二って相手の名前が決まったというね、蝶々雄二っていう。

これはあの今、三枝が新婚さんいらっしゃいとかそんな事やってますが、それの元の形ですね、そういうことをやっていた。

段々段々漫才から離れてしまって、まぁ雄さんが浮気をするだのなんだのとそういう事があって、そういう意味では京唄子と似てるかな。
まぁ京さんはそれを前に出し過ぎて、蝶々さんも出してましたけど、女優としてきてる頃には大映でも良くお会いしてた方です。
ひっそりとおとなしい方でね、ロケーションに行くバスの一番後ろに乗って編み物か何かを成すってましたよ。

一度だけ私、お尋ねしたことがある。
蝶々さん、お好きな言葉、ご自分が芸人をやって来る、それから人としてもそうですが大事にしてる言葉は何ですか?とこう聞いた。
そしたらね。
「う~~~ん、どだいしゃあない、やね。」
そう仰ったですよ。

これ、自分も大事にしています。
蝶々さんがそんなに好きってわけでも、尊敬しているって意味も持ってるわけでは無かったんですが良い言葉だなって。
大阪人ってこういうふうに言うんですよ、しゃあないやん、って。

それをどだいしゃあないって。
どだいってね、これは根本的にこれはしょうがないって。
例えば貧乏も、浪花千恵子さんもそういう事を良く仰っていました。
それに近い事を。

だから私の今、私の人生の有り様って、そこがあります。
辛いことが有っても、心の奥底で、開き直ってるんじゃないですよ。
開き直ってはいないんだけど、くよくよ考えてもしょうがない。
ほぼ前向きなんです。
先週あれほど喉を傷めたでしょ。
一週間あれば治るわ、治ったら前より良くなってるわって言うのはね、とんでもない不逞の台詞なんですよ、そんなはずがないんだから。
だけれどもそう思わなきゃ。
痛みに負けてですよ、ぐたっとしますか?
前より良くなるんだと思うんですよ。
その時に、どだいしゃあない、随使こうてるもんって思うんですね。

私自身は別にそのコテコテの大阪人じゃないんですが、どっか、どだいしゃあないってのはひどくありますね。

だから神経質でカリカリしてるだろうとお思いかもしれませんが、野放図です、そして呑気です。
それから明るいね。
根本が目茶苦茶明るい。
しゃあないやんけってのがあって、この「どだいしゃあない」は好きな言葉です、どっかやけっぱちにならずに胸の底へ置いといてください。

しゃあない。
ヒトとして生まれたからには、この程度の哀しみは当たり前やないかというのは、有っても不思議ではない。
いやむしろ、ピシッと置いておいたら良い言葉かもしれません。

この年の最大のヒットかどうかはともかくとして、いきなりじいちゃんばあちゃんと呼びかけられる歌がこれでした。
大泉逸郎、孫

スタジオでこの曲を流すたびに、ウチの客が荷物をまとめて帰ろうとします。

それほど、じいちゃんばあちゃんの多いスタジオではありますが、どうぞ若い人、19歳も来ています、若い嫁も来ています、若い人が寛いで遊べる場所です。
たまにはじいちゃんばあちゃん、このエキスを取って、老けて帰りましょう。


大泉逸郎 孫

みとせの流行り歌、今年は、今週は2000年、平成十二年と段々段々詰まって来ましたね。
これはだけど、みとせが終わって続けたいなぁ、こういうものって。
ちょっと振り返って、ほんのちょっと立ち止まるってとても大切な事でしょう。

長く立ち止まる必要はないから。
だけど政治でも2000円札、こんな失敗を、先を見通すことができなかった人ですよ。

そのくせあっけなく亡くなられてね、悪口も言えなくなった。

そんな悪い人じゃなかったと思いますよ。
だけど印象に残ったのはなにかと言ったら、平成と書いた紙を出してね。
前頭から上の力士が皆いない大相撲の親方みたいな顔をして、今、娘が。
ほんの十数年で変わるんですよ。

だからほんのちょっと立ち止まって見て、周りの景色見て、それから足元を見て歩き出すというのも大切かもしれませんな。

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