台風10号ハイシェンと私の母

☆母への電話

特別警報級の。
そんな形容詞が付くほどの猛烈な台風が九州沖縄地方を襲いました。
九州全土を暴風雨圏に巻き込むほどの勢力を保ち、宮崎の私の古里も襲いました。

85歳の母。
独り暮らし。
まだ影響の出ていない土曜日の内か日曜日の午前中に、熊本に住む親戚の家に避難するよう伝えたのです。
ですが、台風に近い熊本の方が危険ではとの判断から、動かなかったようです。
台風10号
引用:Windy.com

日曜日午後、古里にハイシェンの影響が出始めたころ、母から電話。
先述の親戚から電話があり、「ニュースみたけどそっちは大変なことになってるね。やはりこちらへ避難しないか。」と連絡が来たというのです。
なんで今頃、、、バカな!
風雨が強まってからの長距離移動の避難は危険。
だから絶対にダメだと伝えたんです。
すると意外に、すんなりと私の意見を聞き入れてくれた母。

それから、母にもできる台風対策を伝え、とにかく月曜日朝6時まで耐えて!とだけ伝えてスマホを切りました。

☆晤郎さんが東日本大震災で教えてくださったこと

現在更新中の、「日高晤郎ショー 東日本大震災報道」
改めて文字起こししていると、自分の中に生きたノウハウとして、有事に対する姿勢や考え方や行動の要点が積み重なっていってます。

これは明日の記事に出てくるんですけど、「情報把握し、それを整理分析し、次の行動に向けて支度をする。」ことの大切さを改めて感じています。
教えてくださった事に対して、ただ頭だけで覚えるのではだめ。
活かさなきゃ。

今回の台風も、母の避難ミスも、すべてある意味において有事。
晤郎さんなら、晤郎さんならと全身でイメージして、怖い気持ちを抑えて。
必死に分析しました。

台風は反時計回り。
つまり進行方向の右側から九州山地に向かって雨雲が多量に入るので、川の氾濫や土石流の危険性が高い。
母の住む土地は、そのどちらにも弱い。
なので、熊本の風の危険性の方がまだ安心だったのだけれど、もう動けないし、日没も近い。
最悪の状況になったとき、母がいかに安全で在り続けることができるか、久しぶりに必死で考えました。
しかしまぁ、何と言ってもグーグルマップと、この気象情報Windy.comには本当に助けられました。
台風10号
いつどれくらい降るのか?
どの時間、どれくらいの風がどの方向から叩きつけてくるのか?
それに現地の地形と、家の間取り。
バカじゃないかってくらいシミュレーションしました。
いやおそらく、バカですね。

面白いものです。
普段は考えなかったんだけれど、母の暮らす横長の家は、西側の裏が竹林でしかもなだらかな傾斜。
竹林は地下茎で地面をガッシリ押さえているんで安心なんですよね。
そして一方家の東側は、やや急傾斜。更の東に進むごとに谷になっている。
もし地崩れが起きた場合、西側の二階に居ればかなりの確率で安心じゃないかって。
あとは強風で窓ガラスが叩き割られる怖さがあるけど、窓に布ガムテープ滅茶苦茶に貼って部屋の真ん中で布団かぶってりゃ行けるんじゃないかって。

いや、こうは書きましたが、怖いには怖かったですよ。
そしてその対策が正しかったのかどうかも分かりません。ですが間違いなく、私は必死でした。

しかし、難しかったです。
先述の晤郎さんからの学びである「情報把握し、それを整理分析し、次の行動に向けて支度をする。」の支度する部分は、遠く離れた85歳ののほほーんとした老婆なのですから。
ちゃんと理解して、ちゃんとやってくれるだろうかって。

正直言って、翌朝まで生きた心地がしなかったです。

☆母が電話に出ない朝

こうして母を母と呼べるようになったのは、晤郎さんのお陰でした。
とある事情で生後1年もせずに生母は私から離れざるを得ませんでした。

ある時、晤郎ショーで。
晤郎さんがお母さまの話をされた時があって、それに対して私の出生について手紙を出した時があったんです。
それを放送中に読んで下さり、晤郎さんはこう仰ってくださいました。
「大切な人に、有り難うを伝えられていますか?」
その言葉を考え抜いた結果、私は思い切って母に手紙を書き、その時初めて他人行儀ではなく「お母さん」と呼んだのです。
晤郎さんはそれを大層喜んでくださいました。
この時からなんです、私と母の距離も一気に縮まったのも。
懐かしい思い出です。

さて、思い出話はこれくらいにして、台風。

月曜日朝6時。
台風10号ハイシェンは、九州北部へと去っていました。
古里は、その影響下から徐々に外れていきます。

データを見ながら、この風雨でも、あの地形ならおそらく大丈夫だったろうと思いつつ、母に電話。
すると、どんなに呼んでも出ない。
寝てるのかなと思い、1時間後に電話、、出ない。
さらに1時間後、、、出ない。
午前9時、、、、出ない。
10時出ない。
10時半出ない、11時出ない、11時10分出ない、11時15分出ない、、、、
5分ごとにもう心配で掛けてカケテ掛けて。

気持ちの折れかかった13時35分過ぎ、母から電話。
おおお~~!!
出てみると、「ごめんごめん、何回も電話くれちょったね。朝からずーっと庭の片付けしよったとよー」

私はA型。
母はO型。
も~ちょっとさ、なんかさ、緊張感とさ、心配してるだろうから電話入れておこうという繊細な、さ、、、
ま、O型だから良いか、無事だったし。という話でした。

台風10号ハイシェン

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