私がフォーエバーを応援しなかった理由
☆受け継がれるべき言葉の哀しみ
たまにですが、このホームページの問い合わせの方に、やんわりと質問してくる方がいらっしゃる。
その中で、割合見かけるのがこれ。
「日高晤郎ショー・フォーエバーの事も読みたいです」
もしくは、、
「日高晤郎ショー・フォーエバーには何故触れないんですか?」
いやあの、コアな常連さんには私を含めて不人気の本の話ではないですよ。
晤郎ショーの後番組、日高晤郎ショー・フォーエバーの事。
まったく、、、
そっとしとけば良いものを、、、
しかし触れられたからには捨て置けぬ、斬る!!
ってなもんで。
まぁblogを二年以上書き進めて、そうですね、ほとんど触れないのも変でしょうし、ね。
まぁ問い合わせに個別に返信書くよりは、まぁよろしかろうというわけで、書きます。
私も、フォーエバーの初回は全部聴いたんです。
二回目以降は、とびとびで。
で、何回目だったでしょうか。
晤郎さんのこの言葉。
この「佳い」についての話されてるのをたまたま聴いて、あ、こりゃ私は無理だと思った次第。
佳いは、「よい」とは発音しますが「いい」とは発音しない。
晤郎さんが敢えて漢字で「佳い」と表記したのには、晤郎さんの強い思いと言葉への美学がおありだったからです。
その晤郎さんの大切にされていた言葉を、「佳い」も「良い」も同じだから、そして「良い」は「いい」と発音するから、言いやすい「いい」にしてしまった解釈がかなり残念でした。
また、晤郎さんがお若い頃、よく笑えた日はいい一日と確か仰ってたこともあるという話からも、フォーエバーではどちらでも良いのだから、フォーエバーでは「いい」に統一するとか言う話。
全く残念。
表意文字と言う概念を御存知か?
晤郎さんがどういう思いで年月を重ねて「佳い」にされたかお察しか?
哀しくなりましたね。
ここは、「佳い(よい)」が正しいのです。
しかも「良い(よい)」と韻を踏む。
佳いには、その姿勢が美しい事とか、優れている事とかの意味があります。
なので晤郎さんの文では「正しく楽しく笑えた日と言うのは、実に正しくそれだけで美しい日なのですよ」という事なのですから。
それをまぁいとも簡単にまぁ浅く「いい」とした。
一事が万事。
もうどういうことか見えたので、私は貴重な土曜日の時間はひたすらパソコンとかホームページの立ち上げの勉強の時間に充てたのでした。
でも、セブンイレブン探検隊は応援し続けていたので、フォーエバーの時に出たじゃがビーは買いましたよ。
うわぁい、食べるぞと蓋を開けたら、もうクルクル回って座りションベンして馬鹿になりそうでしたけど。
と言うのが、私が晤郎ショー・フォーエバーにほとんど関わらなかった理由です。

