日高晤郎ショー・ラジオ人生講座を考える

ウィークエンドバラエティ日高晤郎ショーの11時台に放送されていたかつてのコーナー、ラジオ人生講座。
好きだったなぁ、いろんな方の人生の顔が観られて。
何度泣かされたか。
何度考えさせられたか。

☆「ラジオ人生講座」というタイトルについて考える

ところでこのタイトル。
同時刻、HBCラジオで今も放送されている「テレフォン人生相談
(たまたま聴いたとんでもない人生相談について、裏ブログに書きました。)
これ、全国ネットなんですね。土曜はやってないのかな?
お悩みの方はこちらへどうぞ、みたいなホームページもありました。
さて、そこで。
晤郎さんがそのテレフォン人生相談を日高晤郎流に持って行ったのが「ラジオ人生講座」でした。

このネーミング、絶妙です。
比較分析してみましょう。

☆言葉の分析

まず、中央の単語の「人生」。
ここは共通。
この「人生」という単語が、前と後ろに係ってきて全体の意味合いが変化していくんですね。

では、始めの言葉をチェック。
一方が「テレフォン」で、一方が「ラジオ」。
テレフォン人生相談は1965年から始まっているんで、勿論テレフォン人生相談が日高晤郎ショーより先行。
多分ですが晤郎さんは、テレフォンに対して、俺はラジオを愛しているんだ。俺の生きる場はここなんだという強い思いから「ラジオ」という単語を頭に持ってこられたんだと思います。

それから、最後の言葉。
一方が「相談」で、一方は「講座」。
これは簡単、相談は、人の意見を聞いたり話し合いをする事。
講座は、講義の形を採った放送番組という意味もある。
つまり、、、

☆言葉に魂を込める方法

テレフォン人生相談は、「電話を使っての人生について意見を聴いたり話し合いする事」の意味になり。
ラジオ人生講座は、「人生について講義の形を採ったラジオ番組」の意味になる。
ラジオを愛した日高晤郎さんが、強大な人気番組に挑む心意気がここから伺えると私は思う。
相談の場じゃないよ、俺の作るこの空間、ここは学びの場だよって。

なぜこんなこじつけみたいな解釈を平気で私が言えるのか、少し疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれない。
理由はあります。
こういう言葉への命の吹き込み方は、実は私のやり方なのです。
でも普通、こういう考えで色々しゃべったり書いたりしていると、絶対に疎ましがられるに決まってるんですね。
だから普通は言いません。そうやってずっと生きてきて、札幌に越してきて日高晤郎さんに出会ったんです。

衝撃でした。
日高晤郎さんは、私のそういう掛け言葉的解釈や言葉遣いを見抜いて認めて喜んでくださっていた。
こんな人がこの世に居るだなんて、、、。嬉しいやら尊敬するやら、そういう言葉の往還が本気の生き甲斐になるやら。
私がこの世で唯一、全力で文章を書いて届けられる方でした。
あ、話逸れてますね、、、

☆換骨奪胎

ウィークエンドバラエティ日高晤郎ショーに先行して、1965年にテレフォン人生相談が始まったと書きましたが、その13年前、1952年に始まって1999年まで放送されていたのが、大学受験ラジオ講座。

この大学受験ラジオ講座から、「大学受験」を取り去って、間に「人生」を入れたらラジオ人生講座となる。
これによってテレフォン人生相談の歴史も越えられるという呪術的要素もあったのかもしれない。

長々と述べてきたが、これ、換骨奪胎の極意。
余談ながら、換骨奪胎というのは「先人の詩文や作品や文章の作り方や形式などを取り入れながら、独自の工夫を加えて新しい作品を作る事。」であります。
あー、ラジオ人生講座、もっともっと聞きたかったなぁ、日高晤郎さんのラジオ人生講座。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください