令和元年十二月一日投函・晤郎さんへの手紙
☆日高晤郎さんの、命の約束
 晤郎さん、12月になりました。
 外は湿った雪がほんの少し降っています。
 12月。
 外は冷えるけれど、どこか温かくて懐かして切ないです。
 あの日の晤郎さんを思い出しています。

 命の炎が消えようとする少し前、日高晤郎さんは、「今年のクリスマスディナーショーは無理です、中止します」とウィークエンドバラエティ日高晤郎ショーのスタジオで仰った。
「この体力ではディナーショーは出来ません」と。
そして言葉をつないで、こうも仰った。
「その代わり、12月になったら、みんなで集まってクリスマスパーティーをしよう。みんなで楽しく飲んで語り合おう。」
「この約束を楽しみに、私は命懸けの治療に入ります。但し、明日への贈り物part3まで終わらせてからです。そこまでは、命削って最高の舞台をお見せします。」と。
☆遠い未来の、日高晤郎さんを必要としているあなたへ
「命懸けの治療」
その言葉を確かに耳にした。
またいつか、これについても詳しく記したい。
放送外で直接耳にしたのは、スタッフさん以外ではわずか40名ほどのスタジオ観覧のお客さんだけ。
そこに居た者としての責任もある。
 日高晤郎さんが大好きで、それなのに諸事情があってスタジオにもホールにもディナーショーにも語りの会にも足を運ぶことの出来なかった、私のまだ知らない心底の日高晤郎さんファンが各地にいらっしゃることは、私の皮膚感覚で分かる。
 そして遠い未来に、その時の事を知らねばならない誰かが待っていることも。
  私は、迷わない。
  日高晤郎さんが大好きだったから。
 あの場に足を運べなかったあなたの為に、あの場に間に合わなかった永い時間の向こう側の誰かに、私は私の言葉で伝えたい。
  一切の迷いはない。

☆天国の日高晤郎さんへ
 12月1日日曜日。
   病室のベッドは明るく静かです。
   思いを馳せるには充分な時間が流れています。
   目が覚めたら、あの日の晤郎さんの事を何度も何度も鮮明に思い返していました。
   そして少しだけ、胸の奥が熱くなりました。
  12月の約束は果たせなかったけど晤郎さん。
   晤郎さんがあんなに大切にされていた常連さんという家族が、14日土曜日の夜、なんでやねんに集います。
   私も混ぜて頂きます。
   意地でも、思い出して泣きません。
   約束は守ります。
   意地でも、笑って過ごします。
   約束は守ります。
   私の事を思い出して泣くのはやめてと仰いましたから。
   そして何より、あの時の約束の、クリスマスパーティーですから。

12月。
晤郎さん。
外は冷えるけれど、どこか温かくて懐かしくて、やっぱり切ないです。
令和元年十二月一日
                         豊平区 和彦
日高晤郎様

