晤郎さんへの手紙2023.2.25
☆巣立ち
札幌では春めいた風が吹くようになり、あちらこちらで蕗の薹が顔を出しています。
昨日東京ではソメイヨシノが満開を迎えたと、ニュースでやっていました。
晤郎さんが最後に第一スタジオに立たれた日から、昨日で丸五年の歳月が流れましたね。
桜満開のニュースはそのことと重なり、私には一層儚げに聞こえました。
あと数日で春の吹雪となるその花に、あの日の晤郎さんの面影。
やはり私の中に生じた大きな大きな喪失感は、まだまだ癒えていないようです。
ところで、今日、長男が東京での暮らしを始めました。
私の手を離れ、いよいよ独り立ちです。
先ほども私のスマホに、照明器具が無いだの、カーテンが無いだの、引っ越しの書類がどこかに紛れただの、30分おきにラインが来ています。
でもどこか楽しそうなんですよ。
晤郎さん、覚えてらっしゃいますか?
12年ぐらい前になるでしょうか、私がお手紙で、子育ての覚悟を綴ったときのこと。
あの時私は、こう書きました。
「これから反抗期を経て、徐々に私の手から二人(長女と長男)は離れていくでしょう。
その時私は、次の機会に、いつ出番が来ても良いように、準備万端整えておきたいです。
本当の大人になっていく過程で、またはその後でも、子供たちが私を心底必要とする時まで、私は私なりに父親としての力を蓄え磨き続けておきます。
そしてその時が来たなら、晤郎さんに恥ずかしくないよう、言葉の力で子供達を支えてやる覚悟です。」
幾分生意気なことを書いた手紙でしたが、晤郎さんは笑顔で嬉しそうに読んでくださいましたよね。
そして晤郎さんは、こう仰って下さいました。
「親子の歴史に、晤郎ショーがどんな形でも関われたなら、私は嬉しいです。」と。
そして、今年です。
まるで幾つかの歯車がカチリと嚙み合ったかのような必然的偶然が重なって、子供たちそれぞれが新たな船出。
そんな分岐点に際し、それぞれに何日も膝を突き合わせて語り合いました。
これまでのこと、これからのこと、自分の青春時代の失敗と成功・挫折と達成。
更には、私が晤郎ショーで体験した数々のエピソードや晤郎さんの人生に対する姿勢。
とても濃密で楽しく嬉しく、そして少しだけ寂しさを感じた時間でした。
晤郎さんが空へと旅立たれた春。
子供たちが各々の人生へと旅立った春。
春はやはり朧気で美しく、穏やかで明るくて切ない季節ですね。
私はこの季節が一番好きです。
晤郎さん。
私、ようやく、父親としての第一のステージを勤め上げることができたようです。
だから今日だけは、ちょっと一息ついて金滴を頂いてます。
美味しいです。
でも、気は抜きません。
あくまで、父としての第一ステージが終わっただけですから。
明日から第二ステージに向けて、いつ出番が来ても良いように、準備万端整えて生きます。
護るべきものを、全力で護ります。
次に晤郎さんにお会いするとき、恥ずかしくないように。
では。
またお便り致します。
豊平区 和彦