初めてのクリスマスディナーショーの思い出 パート②

初めてのクリスマスディナーショーの思い出 パート①からの続き

☆日高晤郎さんディナーショー待ち時間での大失態

そんなわけで私と友人がパークホテルに到着したのは、ディナーショー開始13時間前。
気後れしながら、ホテル玄関を潜る。
すぐ左に、20人ほどの列。

おおここだここだと、安心して並ぶ。
並んだ、並んでみた、並んだんだけど、、、なんか違和感。
(写真は2016年のディナーショーのものです)

というのも、我ら二人だけ、異物。
他の方々は皆顔見知りみたいで、、、
(おーそーなんだーやっぱりねーみなさんお仲間で、あーそーなんだーと心で叫ぶ私)、、、
それでそれで。
耳を澄ますと、聞こえてくるお名前はどの方もウィークエンドバラエティ日高晤郎ショーで聞くお名前ばかり。
いわゆる、常連さんの大集団だったのだ。

私と友人の後ろにも、次々と常連さんがやってきては並び、増々孤立化する初心者二人。
(これを常連さんサンドイッチと呼びます。そして確実に気の弱い方はここで失神します。私はかろうじて失禁ですみましたが)

「早く来すぎたんじゃない?」と友人が目で訴える、、、。
確かに、早く行こうと言ったのは私だった、、、。
「あんたら、誰?」と常連さんたちからの相次ぐ無言の疑問波。(雰囲気でわかるのよ〰️( ̄▽ ̄;) )

そりゃそうだ、こんなに早く来る奴は、どう考えても普通じゃない。
しかも顔見知りではない、警戒されるに決まってる、、、。やっぱりねと妙に納得。
と同時に、思いっきり早く行こうと言い出した自分を少し責めた。

☆日高晤郎ショーで、まだラジオネームが許されていた頃

当時、「ラジオネームたまご」で番組に手紙を送っており、番組で何度か読まれた事もある。
ただそれだけの日高晤郎さんファンである。
全身全霊で日高晤郎さんを応援している常連さんと並ぶだなんて失礼だとも思った。

その常連さん同士の会話の中に、「この前のたまごさんのお手紙さ、、」そういう会話が数度あり、驚いた。
常連さんたちの記憶に、私のラジオネームが残っている。本当に驚いた。

あ、それ私ですと何度言いかけたが、それはいくら何でも馴れ馴れしい。
そういう風に考えていると、絶対に急速に挙動不審になる。
自分で自分の首を絞める愚かしさである。ますます変な奴になっていくのだ。
なのでその後、あんたら誰?疑問波は途絶えず、つまり13時間軽い生き地獄だった。

☆いよいよ日高晤郎さんのディナーショー受付開始となった頃

そんなこんなで緊張に次ぐ緊張。
故に、肩こり目まい動悸息切れ頭痛歯痛生理痛もうワケがわからないくらいに疲労のピークとなった時に、突如皆さん二階に順に上がり始めた。
ディナーショー受付及び座席決めだと分かったのは、親切な真後ろの常連さんが教えてくださったからなのだ。
うわぁ、、そうなのだ場面変わってこの緊張の中、慣れないスーツ着てナイフとフォークでチョコチョコと彩られた高級な食べ物を品良く食べねばならない、ガクガクガクガク(・´з`・)

しかもどうもこういう場に慣れておられる常連さんばかりに囲まれての食事になるのだガクガクガクガク(・´з`・)

更に、当たり前だけど、憧れの日高晤郎さんがステージに立たれる。
それをかなり前の席で見ることになる、、、バタッ
この「バタッ」というのは、失神卒倒と思っていただきたい。この場合、失禁する前にこうなる。
まだ、受付直前の状態がこれである。

1999年、私はまだ、こんなにウブだったのです。

※2019年10月16日 裏ブログ転載「ラジオ話芸人・日高晤郎さんへの手紙」より加筆転載

初めてのクリスマスディナーショーの思い出 パート③に続く

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