座頭市の哀しみと、誕生の背景。

☆座頭市は哀しみを背負って

前に、海老蔵さんの歌舞伎の処で「座頭市の哀しみ」と書いた。
またその次に、「座頭市の歌は哀しい」とも記した。
盲いた哀しみもある。
裏社会に生きねばならない哀しみもある。
そこに引け目もある。
そして、映画の登場人物としての座頭市の哀しみもあるのだと思う。

☆名優二人。市川雷蔵・勝新太郎

市川雷蔵先生と大映への同期入社をした勝先生。
その扱いは当初雲泥の差。
華々しくスター街道を歩いて行く雷蔵先生に対して、なかなかヒットに恵まれない勝先生。
勝先生の著書、「俺、勝新太郎」にこういう記述がある。
勝先生と雷蔵先生のお二人にとってのデビュー作「花の白虎隊」撮影時の話。
八代目・市川雷蔵先生と、勝新太郎先生。大映の二枚看板
~大映撮影所で大勢の中から市川雷蔵を見つけるのは難しい。
まず役者らしくない。目立たない。ひとりでボーっとしている男。銀行員のような男。
市川雷蔵という天下一品の役者に出会ったのはそんな時だった。
俳優会館の玄関に車が横付けされた。白虎隊に粉飾したひとりの俳優がその車に乗り込んだ。実に若々しい。りりしい若者。
うそ、まさか、こんなに変わるなんて、、、信じられなかった。近寄りがたいスターになっていた。~

唯一の、勝新太郎先生執筆本
そこから勝新太郎先生にとって市川雷蔵先生は、ライバルでありつつ師となった。と記述にある。
台本をキッチリ覚えて、台本に忠実な役柄を身にまとう事が出来た名優・市川雷蔵。
その名優を基準に置いて、台本を飛び出て自由に役を仕上げていくなら勝新太郎という俳優の形が出来上がって行ったらしい。
やがて模索の末にたどり着いたのが座頭市。
それはまるで、華々しい市川雷蔵先生の役柄の対極にある主役の姿であった。

「俺、勝新太郎」より、座頭市の図

☆座頭市の精神性

座頭市の内包する哀しみ。
座頭市を生み出した勝先生の情熱と映画界に対する思い。
その向こうにある雷蔵先生の輝き。
両先生を師匠とする晤郎さんは、だから他の俳優が演じる座頭市に対して、口を酸っぱくして言いつづけたのだと思う。
「座頭市は、ただ剣が強くてかっこいいだけではダメなんだ」と。
座頭市は、勝先生の役柄なんだ。
勝先生がどんな思いで座頭市にたどり着き生み出したか。そこに敬意を払えない役者は、座頭市を演じるべきではないと。

もう一度じっくり、座頭市を初めから観なきゃならんなと思う。
いろいろやりたいことが積もってきた。
時間を工夫しよう、でないと後悔する。
いつか、、、ではない。
今、だ。

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