☆「日高晤郎ショー 最後の日」前日までの話

☆「日高晤郎ショー最後の日」投稿開始宣言は、こちらをクリックして下さい。

☆日高晤郎さん、急速な病の侵攻

2018年。
年が明けてから、手術入院。

3月に入っての急速な病の陰の拡がり。

10日、17日と放送を重ねるごとに衰弱されて行く晤郎さん。

そして23日の「明日への贈り物Part3」の文字通りの命懸けの舞台。
(これらの事は、もっとずっと後で詳しく記す所存。)
明日への贈り物Part3翌朝の会場

どう見ても、晤郎さんの命の終わりが近いことは、病を知る人にとっては火を見るより明らかだった。
そう言うと、熱烈な晤郎さんファンからは叱られるかもしれない。

事実、常連さんの中には「大丈夫、晤郎さんは絶対に復活するから。」と言い切る方もいらっしゃった。
勿論、そうなってほしいという願いは誰しもが持っていたのだが、客観的に、冷静に見たら、かなり切迫した状態。
明日への贈り物Part3ポスター

☆尊敬する晤郎さんを、次の世代に伝えるのが私の役目です。

私自身は、覚悟していた。
明日への贈り物Part3とその翌日が、かなりの確率で「最後」になるのではと。
なので、私が毎週晤郎さんへ出していた手紙は、24日の放送に向けては投函していなかった。
敢えて、書かなかった。

ただ自分の耳と目を澄ませて、その最後を焼き付け、次代の誰かに手渡すためだけに集中していた。
それが、手紙を出し始めた当初からの晤郎さんと私の約束だったから。

そしてその言葉は、最後の数年、私がスタジオ通いをするにあたって最初の方に、改めて手紙にしてお渡しした。
「尊敬する晤郎さんを、次の世代に伝えるのが私の役目です。」と。
晤郎さんはその言葉に、無言で、笑顔で、しっかり頷いて受け止めて下さっていた。
そしてほんの少し間をおいて、「うん、有り難う」と。

3月24日。
私はこの日、役目を果たすためだけに集中していた。
だから、その集中を邪魔されることだけは許せなかった。
本当に、許せなかったのだ。

2018年3月24日土曜日朝4時、ひとり大通公園で空を見ていた。
少しだけ、春の気配が感じられた。

「日高晤郎ショー最後の日」8時台Part1~に続く

ターミナル「日高晤郎ショー最後の日」へは、こちらをクリックして下さい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください