☆「日高晤郎ショー 最後の日」お別れの時
☆最後の9時間
2017年。
STVラジオの方針で、野球シーズンには日高晤郎ショーを6時間に短縮。
その代わり野球中継(日本ハムファイターズ全試合)がそこに入ることになりました。
日高晤郎ショーのファンの間では、「晤郎ショー難民」という言葉が流行。
そして半年後。
同年秋の野球オフシーズンになると、9時間の日高晤郎ショーが復活。
期間は、半年後の2018年3月24日まで。
その期限は、晤郎さんの体調に関わらず当初から決まっておりました。
ここまでお送りした日高晤郎ショー最後の日。
日付は、2018年3月24日。
本当に晤郎さんらしい、きちんとした区切りだと思います。
晤郎さんが命懸けで全うした最後の9時間。
鮮烈な印象と余韻を残したまま、晤郎さんは放送終了後の月曜日に入院。
1泊2日とご自身が仰っていたその入院は、月を超えた3日まで続くことになるのです。
☆翌週の日高晤郎ショー
翌週の2018年3月31日。
「晤郎さんは入院されたまま」と、事前にスタジオ常連さんから連絡が来ていました。
なので、客観的に観るために午前10時前にSTV第一スタジオ前廊下へ。
日高晤郎さんの代役は、STVの吉川アナウンサー。
この日から再び6時間放送。
晤郎さんの居ない日高晤郎ショーを、みんなで盛り上げようという一体感が強かったのを覚えています。
途中、この放送を病室で晤郎さんも聴いてらっしゃるという報告がありました。
ご自分が出演していない日高晤郎ショーを聴いていた晤郎さんが、「病室で微笑んでらっしゃいます。」という情報も入りました。
その情報に触れて、スタジオ内と廊下は拍手と感涙であふれました。
☆日高晤郎さんご逝去
2018年4月3日。
晤郎さん最後の放送の日から数えて、10日目。
午前10時48分。
ラジオ話芸人・日高晤郎さんは、静かに旅立たれました。
享年74歳。
私は、晤郎さんへの手紙をポストに投函しようと、片手を投函口に伸ばそうとしていたところ。
丁度その時、スタジオ仲間からの晤郎さんの訃報。
ポストの前で少し悩んで、私の最後の晤郎さんへの手紙は、けっきょく投函しませんでした。
~「日高晤郎ショー 最後の日」追悼行事へと続く。