☆「日高晤郎ショー 最後の日」個人的な遺言
☆廊下から第一スタジオ入口まで
日高晤郎ショー 最後の日の朝。
廊下にはスタジオに入れなかったお客さんでいっぱい。
その中には、常連のMさんもいらっしゃって、晤郎さんの事など熱く語り合っていたんです。
Mさんは、晤郎さんへの差し入れかな、沢山の荷物をお持ちになっていて。
時間は、放送開始30分か1時間経ったくらいだったかな。
スタッフの方がMさんに「晤郎さんが呼んでます、スタジオに入ってください。」
Mさんのお知り合いが遠方からスタジオにいらっしゃっているので、それはMさんも一緒に居るべきだとの晤郎さんの粋な計らいです。
Mさんは、大荷物。
これはお手伝いしなければ、と。
Mさんが一回で持ち切れない分の荷物を持って、「スタジオの前まで持っていきますね。」と伝えました。
「あら、ありがとう!」とMさん。
☆叱られた荷物運び
Mさんに付いて、廊下突き当りの調整室手前を左折。
電話受付スタッフさん達を右にみながら直進。
その突き当り、右側が第一スタジオ。
私が荷物を持っていくのはそこまで。
Mさんが第一スタジオ入口横に荷物を置いたので(そこがスタジオお客さんの荷物置き場の定位置)、私もそこに置きました。
置いて顔を上げると、晤郎さんと視線が私の目に!
その位置は、放送ブースに座る晤郎さんの真左の扉の外側。
この時、扉は開いていたんです。
晤郎さんは、放送ブースに座ったまま
まるで雷に打たれたようでしたね、驚きました。
まさか見つかるだなんて思ってもみなかったから。
「あぁ~?和彦、なんでお前がそこに居るんだ!!」
晤郎さんから叱られました。
呼んでもいないのに、廊下待機の順番をズルしてとばして、スタジオ入りを画策していると思われたみたいでした。
☆穏やかな笑顔と、個人的な遺言
見つからないように、そっと荷物運び手伝ったつもりなのに、見つかってしまった後悔。
私はこの時、口から心臓が飛び出そう、ではなく確実に口から心臓が飛び出てしまってました。
晤郎さんの放送の邪魔をしてはいけない。
晤郎さんの集中の足を引っ張ってはいけない。
病気で大変な晤郎さんの気分を害してはいけない。
(これをやったら、晤郎さんファン全員への冒涜ですから。)
もう必死です。
きっと顔がこわばっていたであろう私から、視線を外さない晤郎さん。
「違います、違います、Mさんの荷物手伝だっただけです。」
その変な日本語の私の説明?を聞いて晤郎さん。
厳しい表情から一転、穏やかな笑顔に。
そして、こう仰いました。
「お前はなぁ、ちょっと目を離すと悪さばっかりするからなぁ。」
そう言いつつ私から目を離し、スタジオ正面に向かい日高晤郎ショーの晤郎さんに戻られました。
時間にして、数秒の出来事です。
それでも私には、鮮明に刻まれた日高晤郎さんからの遺言になりました。
☆空の、日高晤郎さんへ
日高晤郎様。
悪さばっかりしている和彦です。
あの日、ほんの短い間でしたけれど、晤郎さんから直接言葉をかけて頂いたことが私の一つの支えになっています。
今回も、晤郎さんが目を離されている隙に、晤郎さんの事を綴るホームページを作ってしまいました。
晤郎さんは、こういうインターネットをお好きではなかったですよね。
でも私は敢えて、インターネットに晤郎さんを刻み付けるつもりです。
あの時お見せしたスマートフォンも、なんとなく使えるようになったのですよ。
キーボードで記す文字は、ともすれば味気無くなりがちですが、私はそこに晤郎さんから学んだ体温も込める覚悟で綴っています。
「お前はなぁ、ちょっと目を離すと悪さばっかりするからなぁ。」
はい!晤郎さん。
悪さするかもしれないので、どうかこれからも目を離さずにいてください。
形はこうですけれど、私はこれからも、大好きな晤郎さんを後世に遺していきます。
これが私の、覚悟です。
豊平区 和彦
~☆「日高晤郎ショー 最後の日」歌の9時間へと続く。