「日高晤郎ショー 東日本大震災報道」投稿開始宣言

☆再び、連続投稿開始します

日高晤郎さんの三回忌前に始めた「日高晤郎ショー 最後の日」の投稿をすべて終えて約一ヶ月半経過。
自分でも、まさかの展開となっています。
次に遺したかった東日本大震災に関する晤郎さんの放送、それが予定より数年早く取り掛かれることになるだなんて。
当時の録音を、このblogを読んで下さっていた晤郎さんファンの泰浩さんが、提供して下さったんです。

私のパソコン内に保存しておいた日高晤郎ショー東日本大震災報道の音声データが、クラッシュして久しい。
晤郎さんファンの幾人かに聞いて回ったが、どなたも録音をお持ちではなかった。
国立国会図書館にも、その痕跡さえ残ってはいなかった。
悔しさ半分で、このblogにもその旨をちらと書いては見たが、それは悔しさ半分というものありました。

ところがその一行を、面識のなかった泰浩さんが拾ってくださった。
blog、思ったより届くべき方に届いているのかもと思える出来事でもありました。
改めて、泰浩さんに感謝です。

さてこれより、不定期にではありますが「日高晤郎ショー 東日本大震災報道」の連続投稿を開始します。
未来に向けて、「あの日」を遺します。
あれから9年が過ぎ去りましたが。

☆分量は、「日高晤郎ショー 最後の日」をはるかに超えます

先の「日高晤郎ショー 最後の日」は、100投稿でした。
今回の「東日本大震災報道」は、250~300投稿くらいになるのではないかと考えています。
その理由は、CMや歌など、カットする部分が無いからなんです。
写真も、この時はスタジオ通い始める前だったので、一枚もありません。
ほぼ、文章だけになりそうです。
(なるべく読みやすいように、1投稿の分量を短くしますね、、、とすると、投稿数が更に多くなるのか、、、)
文字だけの投稿になるんでしょうけど、決行しますね。
なぜならこれもまた、絶対に後世に遺すべき晤郎さんの大切な記録だと信じているからなんです。

COVID-19によるパンデミックと、そこからくる閉塞感。
今月に入って、スーパー南海トラフ地震の予兆かとも言われている大きめの地震が本州各地で頻発しています。

先が見えない不安感も蔓延。
ここの投稿の多くが、遠い未来への手紙ではありますが、この東日本大震災報道の投稿に関しては、「今」の誰かへの手紙でもあるかもしれないですね。
日高晤郎さんファンの一人一人が、あの日の晤郎さんをもう一度胸に刻み直すことも必要な時期に来ているのかもしれない。

2011年3月12日STVラジオ、ウィークエンドバラエティ日高晤郎ショー。
Vスタジオからの刻々と変化していくニュースと、その間をつないで第一スタジオの晤郎さんと、CMも歌も無しに届けられた9時間。
今一度、あの日の晤郎さんが、あなたの胸の奥に届きますように。

では、始まりです。

< 日高晤郎ショー東日本大震災報道・2013年3月16日の手紙へと続く

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