日高晤郎ショー 東日本大震災報道・手紙後の晤郎さんのコメント
< 日高晤郎ショー 東日本大震災報道・2016年3月12日の手紙からの続き
☆2016年3月12日 日高晤郎ショー・10時のうちあけ話より
手紙後の晤郎さんのコメント
「和彦さんらしいユーモアを交えて、、、。
(震災報道とグリコのカレーを重ねて書いた部分)
ユーモアも交えてね、で、何に寄らず、私が勝先生に言われたという話をずっとしますでしょ。
思い出せばそこに生きてるんだよと。これが大事だと思います。
それから、思い出して生きてると時に、何かを政府や政治家に言うべき立場に居て、言うべきだと思うんです。
それを声に出すことですよ。
うっかりしてごらんなさい。
忘れるでしょ。
それで、「政府は何もやってくれない」って言う、、、。
我々が忘れるから、やらないで済んでるんですよ。
なぜ物を言わないか!です、メディアも。
これ視ててごらんなさい、やがて抑えられますよ。
そうじゃない。物を言う機関があって初めて健康なんだから。
不健康にしたいですか?
与党と政治家の一群のために。
それはなりませんよ、バランスが取れないです。
生きてるって言うことは、常に正直に公平を求める心ですから。
それが生きてるっていう喜びなんだから。
つまり、声挙げるべき時には挙げ、思い出す時には常に思い出すことが大事です。
そしてもう一つ。
備える事です。
ところが、普段何にも言わないのに、この時期が来たら「備える事、備える事」ってこう言うのさ。
これを、偏りと言います。
つまり、こんな有り様だから言いたいことを言わせてしまうんです。
常に声を挙げて正しく思い出していれば、言わせないはずのことは言わせないで済むんですよ。
私は断じて嫌ですね、政治家にすり寄る芸人にはなりたくない。
政治家が私にすり寄ってくるのは勝手ですよ。
それは勝手です。
私は、政治家としては会ってませんから。
例えば、元松前町長の前田さんにも。
前田さんが一年生として、議員としてここで何かお客様と話していて学ぶものがあれば、いつでも来ればいいです。
俺からは行かないというだけの話です。
そんな芸人にはなりたくはない。
俺、喰えない芸人になったとしても、政治家にすり寄る芸人にはならない、これは約束します、絶対にならない。」
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