私の「外郎売」に、出会うための旅Part2

< 私の「外郎売」に、出会うための旅Part1より続く。

☆外郎売背景、曽我兄弟仇討ち

建久4年(1193年)5月28日。
富士の裾野で、曽我兄弟によって行われた仇討ちは、日本三大仇討ちの一つに数えられています。

曽我十郎祐成(そがじゅうろうすけなり)と、五郎時致(ごろうときむね)とが、父の仇である工藤祐経(くどうすけつね)を討ったこの仇討ちは、その後、能・文楽・歌舞伎・浄瑠璃と、様々な芸能で演じられることになりました。それらすべては、曽我物と呼ばれています。

弟の五郎は響きが御霊に通じ、御霊信仰と相まって、江戸の初春の舞台に曽我物は欠かせない演目となっていきます。

そんな曽我物の一つ、若緑勢曽我。
その中に、曽我十郎が偵察を兼ねて薬売りに扮し、仇敵工藤祐経の眼前で外郎売口上をスラスラと述べる場面があったというのです。
そしてその口上部分が若緑勢曽我から独立して、外郎売と呼ばれるようになったらしいのです。
私はまだ若緑勢曽我を観た事はありませんが、気になる演目であります。
現代ではやってないんだろうか?

その口上外郎売を作ったのは、二代目市川団十郎。
自らの病を治した薬、ういろうに感謝しての演目作出だったと資料に載っていました。
歌舞伎・市川海老蔵展より

☆曽我兄弟仇討ちの名刀

小田原のういろうを観た私はその足で箱根神社へ。
箱根神社宝物殿には、曽我兄弟が仇討ちで使用した太刀が二振り、保管してあります。
その名も「微塵丸」と「薄緑丸」。

箱根神社は、芦ノ湖湖畔に建つ神社。
曽我兄弟仇討ちの時代、この箱根神社は国内筆頭という幕府からの崇敬と保護を集めたともあります。

その絶大なる信仰の下、曽我兄弟の太刀がこの箱根神社に奉納されたのでしょう。

外郎売誕生の背景の一つとして、この「微塵丸」と「薄緑丸」はどうしても観ておきたかったんです。
二振りの太刀は、凛とした光彩を放って、あの日私の眼前に有りました。
遥かなる歴史と晤郎さんの佇まいと私の前でより深みを増す口上外郎売が、兄弟の太刀から伝わって来るようでした。
微塵丸と薄緑丸

< 私の「外郎売」に、出会うための旅Part3へと続く。


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