ジョージ・ルーカスさんと、日高晤郎さん ~part2

< ジョージ・ルーカスさんと、日高晤郎さん ~part1より続く。

☆アートオブ スター・ウォーズ展 IN 札幌

北海道立近代美術館にて開催された「アートオブスターウォーズ展~エピソード3を中心に~」
開催期間は、2005年9月9日~10月22日。
スターウォーズファンの私は、もちろん行ってきた。

※赤文字部分は読み飛ばしてくださいまし(‘◇’)ゞ

( ちなみに述べておくと、スターウォーズは公開順に、エピソード番号が4⇒5⇒6⇒1⇒2⇒3となっている。
ファンの中には、ルークとダースベイダーの戦いを描いたエピソード4・5・6の方が優れてると言う人も多いが、私はそうは思わない。
少年時代のダースベイダーとルーク誕生までを描いたエピソード1.2.3は、それぞれ殊の外素晴らしい。
しかも、全体6作を公開順に観てみると、巨大な別の背景が見えてくる仕掛けが斬新。
ルーカスが関わったスターウォーズに優劣はないと考えてる。)

さてこの展示会、当時公開されるエピソード3を主軸に構成されたものだった。
気合を入れて仕事の休みを取って、丸一日鑑賞したのだった。

開館時間は、9時~17時。
当然、オープンの9時に入館し17時まで一度も退館せずに鑑賞を続けた。
途中トイレに行かなくてよいように、前日から水分補給も最小限にしておいての鑑賞だった。

大好きなスターウォーズの世界観。
それは、私の大好きなジョージルーカスの世界観そのものだった。
実際に映画で使われたセットの、映画に映らない部分を含めた精巧な仕上げや作り込み。
それに触れたあの感動は、今でも忘れられない。
あ、これ、その時の告知ポスター。
今も部屋に飾ってる宝物の一つ。
2005年 北海道立近代美術館 スターウォーズ展

☆日高晤郎ショーで掛かったスターウォーズのオープニングテーマ

そのアートオブスター・ウォーズ展での事を手紙にし、日高晤郎ショーに出した。
そうしたら、晤郎さんが番組で読んでくださった。
しかも、通常のBGMで始まるのではなく、スターウォーズのテーマをBGMにしてのコーナースタート。
あれは嬉しかった。
ラジオを聞きながら、肌が粟立つ思い。

映画人だった晤郎さん。
その時、手紙に込めた私のルーカスへの尊敬までも、キチンと汲み上げてくださってた。
手紙読了後、ご自身の映画への情熱と思い出を語ってくださった晤郎さんもまた印象深く残ってる。
シスの復讐

☆ジョージ・ルーカスさんの場合

先日、ネットニュースを読んだ。
映画史研究家のポールさんにより「The Star Wars Archives. 1999-2005」という本が、今月8日イギリスで出版されたと知った。
アメリカでは来月12月から販売開始という情報。
(日本語版の発売は、現時点では未定)
スターウォーズの1.2.3の色々な事を詳しく書いてあり、おおよそ600ページの分量だという。
the star wars archives. 1999-2005

その中で、配給元の20世紀フォックス幹部連からエピソード1を創るにあたって猛反対された、という事実がルーカスご本人から語られているそうだ。
ジョージ・ルーカス『スター・ウォーズ』で少年時代のアナキン登場に猛反対されていた「シリーズをぶち壊しにする気か!」

ジョージルーカス 無料画像 に対する画像結果

しかしルーカスはそんな声に左右されず、毅然と自分の作りたい映画を撮影していったという。
また、そうして作られたスターウォーズエピソード1・ファントムメナスは、評論家や一部ファンの間でも酷評された。
その大半の意見が「スターウォーズらしくない」だったと記憶しているが、本当に浅薄な考えしかできないバカが多いなぁと、その酷評連中を眺めさせていただいてた。
スターウォーズは、ルーカスが創り上げた世界観の物語。
ルーカスが生み出し、ルーカスが育て上げたもの。
そのルーカスが新機軸を打ち出したのなら、それごと楽しむのが正しいという単純な話。
それを、スターウォーズらしくないと言いうのは何だ?
バカ評論家、バカファンの存在は、ルーカスの気力を奪っていったのだ。
しかも配給元でさえ猛反対してただなんて。ああもう、、、

結果的に、途中酷評していた評論家とかいう人たちも黙るくらいに映画はシリーズ全体を通して大ヒット。
スターウォーズ全6作が大好きな私には、ほれ見たことかと言う展開となった次第。
(後年エピソード2と3が発表され、シリーズ全体を眺められるようになってから、エピソード1の評価は上昇していくことになる。ね、バカばかりでしょ)

日本語版が発売されたら、迷わず買うんだ「The Star Wars Archives. 1999-2005」
the star wars archives. 1999-2005

☆日高晤郎さんの場合

日高晤郎さんもそうだった。
理解者は多く居た。
しかし、真に理解して外野の雑音を完全遮断し、本来の日高晤郎さんの能力を存分に発揮できる環境に整えられていたのは、すべての期間ではなかったように思う。

晤郎さんの活動の主軸は、ウィークエンドバラエティ日高晤郎ショー。
私がSTVホール公開に通い始めた頃、晤郎ショースタッフの一枚岩ぶりに感嘆。
とにかく晤郎さんには放送のみに集中していただいて、その他の事はスタッフで行うという心意気と行動に満ちていた。
第一スタジオ 扉

時代が進むにつれ、人員削減というSTVラジオの会社としての方針もあったのかもしれない。
晤郎ショースタッフの数も削減されていった。
晤郎さんご自身が、第一スタジオやホール公開で、雑事に追われている場面が増えた。
年度によっては、明らかにスタッフの意識の低下を感じる時もあった。

ずっと以前のウィークエンドバラエティ日高晤郎ショーを知るファンにとっては、晤郎さんへの負担増が切なくもあった。
これら、昔はスタッフが負担してたことなんだよ、と。
しかし、晤郎ショーファン歴の浅い方の一部からは、些細なことも晤郎さんのせいだと批判も陰で上がった。
廊下でのスタジオ入り待ちすることも多かった私は、そういう場面も多く目にするようになっていた。
時間に余裕があるときは、きちんと晤郎さんの守備範囲とスタッフさんの守備範囲と会社の守備範囲とを説明させていただいてはいたが。
なんか、悔しかった。

何が正しかったのか間違いか、それは今でもわからない。
ただ私は思う。
昔は確かに人員豊かだったし、末端の皆さんまで全員「晤郎ショーを作り上げてる」という意識が高かったと。

何もわからない外野からの理不尽かつ無責任な批判なんぞどうでもよい。
ただ、身内である組織に関わる者は全員、例えアルバイトであったとしても常に万全であるべきと思うのだ。
日高晤郎ショー初スタジオ見学

☆組織と現代社会

今は社会全体がそういう傾向になっているのかもしれない。
ライフワークバランスという言葉もある。
仕事も大切、しかし私生活や趣味の時間も大事という考え方。
それはそれで間違いない事。

しかし一部には、仕事には全力集中せずに私生活の充実に重点を置くという考え方が静かに蔓延して行ってる。
ハラスメントという言葉が独り歩きし、教える側より教えられる側の訴訟力のみが増大して行ってる。
変化は大事だが、偏りがそこに在ってはならない。
今、偏ってはいないか?

ジョージ・ルーカスさんと、日高晤郎さん。
日米の独創的な創造主を思うとき、幾つかの共通点がある。
自分の世界を築き、遺していくという事は、そういう事だと気づかされた今回の「The Star Wars Archives. 1999-2005」であった。

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