桂竹丸さん~日高晤郎さん語りを聴く会にて

☆STVラジオで知った竹丸さんの存在

「竹丸・なおこの花まる金曜日」
そういう番組が、かつてSTVラジオに在った。
土曜日の、ウィークエンドバラエティ日高晤郎ショーの前日。
radikoもまだ無かった時代。
平日なので私は聞いたことが無かったが、当時、竹丸さんのファンも多かったと記憶している。

桂竹丸さん。
本来なら、桂竹丸師匠とか言うべきなのかもしれないが、私は「竹丸さん」と個人的にこっそり呼んでいた。
桂竹丸さん。
鹿児島県ご出身の落語家。
なんとなく、宮崎県出身の私は、札幌で竹丸さんを知って、実に個人的に応援はしていたのだ。
こっそりだけどね。

何故なら、桂竹丸さんは晤郎さんを慕ってらっしゃった。
慕っていたという表現は違うのかもしれないが、同じ、言葉を使役する職業人の先達として接してらっしゃった。
そこが何とも私にも、心地よかったのだ。
桂竹丸さん

☆或る日の「日高晤郎語りを聴く会」会場にて

演目は、紺屋高尾だったかなぁ。
日高晤郎語りを聴く会であったことには間違いはない。

その日、早めに入場して少しウロウロしていたら、竹丸さんをお見掛けした。
関係者なんだなと遠目で視ていた。
こう言うご職業でまま在りがちな、普段の姿勢がすっごく尊大ってとてもガッカリするものだが、竹丸さんは全くそうでは無かった。

実に穏やか。
すうっと一般客に解けこんでいらっしゃった。
そこも、嬉しくなった。
そして竹丸さんがこうして会場に出ていらっしゃるという事は、晤郎さんの準備もいよいよ終わったのだなと、身が引き締まった記憶。

そして席に戻って、晤郎さんの語りが描く世界を堪能。
心満たされたまま友達や知り合いの晤郎さんファンの皆さんにご挨拶。
静かに会場を後にしようと、緩やかな客席階段を登り始めた時だった。

客席に、竹丸さんが居らっしゃった。
気配を消すように、それでもまたその視線は、先ほどまで晤郎さんが語ってらっしゃったステージに向けられていた。
一瞬、理解できなかったが、得心した。
竹丸さんは関係者としていらっしゃったのではなく、チケット購入して晤郎さんの話芸を学びにみえていたのではないかと。
そう、そんな目だったのだ。
普段の明るく穏やかで元気な竹丸さんでは無かった。
芸人が、そこに居た。
桂竹丸さん

☆一度だけの会釈

同郷というと奇異に聞こえるかもしれない。
竹丸さんは鹿児島県。
私は宮崎県。
しかし、関門海峡を越えると、たいていの九州人は、九州というくくりで同郷と感じる現象がある。
これ、ほんとの話。

同郷の芸人さんの生きた学びの場を目の当たりにして、人の流れに加わらず、私は竹丸さんを見続けてしまったいた。
距離にして8mほどだったか。
時間にして数秒。

竹丸さんが、私に気付いた。
その瞬間、やや抑えた笑顔になって、そっと会釈して下さった。
慌てて私も返した。
一言も言葉は交わさなかったけれど、竹丸さんの会釈は、とても雄弁だった。
桂竹丸さん

☆芸人さんとファンとの距離

素敵だったなぁ、あの時の桂竹丸さん。
あんな表情で、あの視線で、晤郎さんの居らした舞台を視続けていた竹丸さん。
そこから生み出されるであろう、竹丸さんの落語を、いつか聞いてみたいと本気で思った一瞬の出来事だった。

ただ一つ、後悔もある。
私はこの時、芸人さんとファンとの距離を無粋にも踏み越えてしまったのではないだろうかという事。

竹丸さんは、プライベートでいらしていたのだ。
そこを、悪意はなかったにせよ、あの時の私はまだまだ未熟で、つい見つめてしまったのだ。
プライベートでいらしていたのに、私の凝視のせいで、芸人さんに引き戻してしまったのだ。

この後悔は、その後ずっと尾を引いてる。
プライベートでいらしている芸人さんを、気付いても気付かずにいられる上質のファンになろうと日々精進中。
そんな意味でも、秘かに私は桂竹丸さんを一言の師だと思っている。
桂竹丸さん

え?
一言も交わしてないのに一言の師ってか、って。
え?え?
師っていいながら、竹丸師匠じゃなくて、竹丸さんって呼称するのか、って。

、、、ほっといておくんなまし。
日本の話芸

< 桂竹丸さん~NHK日本の話芸にて (この記事の続きです)

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