桂竹丸さん~NHK日本の話芸にて

< 桂竹丸さん~日高晤郎さん語りを聴く会にて よりの続き。

☆日本の話芸

NHKで1991年から放送中の、日本の話芸

番組説明には、こうある。

「当代一流の演者による『落語』や『講談』を毎回一席ずつ紹介する番組。
一回の放送で主演する演者は一名だけ。」

放送は、Eテレ(教育テレビ)や、NHK総合。それにNHKワールドプレミアムでも放送されている。
落語には、江戸落語や上方落語などもあり、そこに桂竹丸さんがご出演と相成った。
日本の話芸

☆桂竹丸さんの演目

さて本題。

全く予備知識なしで、私、観たんです。
あの頃のSTVラジオでの竹丸さんのイメージで観てたんですが、いやぁビックリ。
率直に言って、胸打たれました。
(写真は、現在の竹丸さん)
日本の話芸

竹丸さんの演目は「ホタルの母」
江戸落語でも上方落語でもない、実話を基にした竹丸さんの新作落語です。
日本の話芸
第二次世界大戦中の鹿児島県知覧。
知覧には陸軍の飛行場があって、そこから飛び立っていった多くの特攻隊員。
その特攻隊員が通っていた食堂。
そこの女主人、鳥浜トメさんが主人公。
(写真は、晩年のトメさん)
鳥浜トメさん

☆晤郎さんの語りと、竹丸さんの落語

鳥浜トメさんになって語る竹丸さんを見てて、これは贔屓目かもしれないですけど、晤郎さんの影響も若干あるのではないかと思いました。
なんとも詳しく言えないのがもどかしいんですが、人の心の持つ熱量を言葉に乗せて、観客に届ける手法が似てる感じがするんです。

晤郎さんは、晤郎さんの世界をしっかりと確立されていて、多くの観客を魅了し続けてらっしゃいました。
竹丸さんが晤郎さんとひんぱんに接触を持っていたのは1990年~2000年のおおよそ10年間。
というのも、竹丸さんがSTVラジオにいらしてたのが、その10年間だったような記憶がありますので。(不鮮明不確かですが)
そこで晤郎さんの語りも聴きにいらしてたんだと思います。
鳥浜トメさん

そこでもしかして竹丸さん。
晤郎さんたち先人の話芸に触れて、「自分の話芸の土俵はどこだろう?」と模索されたのではと考えています。
そして行き着いたのが、地元鹿児島知覧の特攻隊の事。

そこで、ホタルの母が出来た年はいつなんだろうと調べてみました。
調べたんですが、悔しい。分かりませんでした。
NHKラジオで、竹丸さんのホタルの母が放送されたとの記録があり、それが2006年9月。
これが私の調査の範囲内で一番古い記録。
STVラジオを離れてから創作されたのか、もしくはSTVラジオにいらしたときから完成していたのか。
私の想像ですが、前者のような気がしています。
やはり竹丸さんの話芸に、晤郎さんの話芸が影響を与えたんじゃないか。
今回、ホタルの母に触れて、私の中に芽生えた一つのロマンであります。

☆現在の富屋食堂

歴史を語り継ぐ竹丸さん。
味と意義を伝え続けるご親族。
竹丸さんの「ホタルの母」の舞台となった富屋食堂。
現在では、「ホタル館 富屋食堂」と名を変えて、曾孫の方がやってらっしゃるそうです。
鳥浜トメさんのお店

場所は、鹿児島県南九州市知覧町郡103-1
激動の時代、多くの若い命に慕われた鳥浜トメさんの志は、今もこの地で訪れた人たちをもてなしているという事です。
鳥浜トメさん
最後に、竹丸さんの言葉を。

「おふくろから特攻について聞かされて、そして落語家になりました。
大袈裟だけど、これが自分のライフワークだと思います。
落語家って、一つの語り部でもありますからね。」

桂竹丸。
この落語家に耳を澄ましておいて損は無いと、晤郎さんファン故に思います。


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