紺屋・紫屋

☆発端は、晤郎さんの紺屋高尾

染色、と言うのがずっと気になっていた。
晤郎さんの一人語りで、藍染めの紺屋(こうや)を知った。
今風に言うなら、藍染め専門店。
紺屋

それで日常の傍らに、時間見つけて調べていた。
江戸期には、染物の色によって職人が区別されたという。
紅花で赤く染めるのを紅屋。その職人を紅師。
矢車などで茶系統に染める茶屋。その職人を茶染師。
そして染色の中で最も困難と言われる紫草で染める紫屋。
そう、紫色に染色する専門店。
その職人を、紫師と言う。
紫根染め
(写真は、せき呉服店)
紺屋が藍なら、紫屋は紫草。
紫草と書いて、読みは「むらさき」。

江戸の武蔵野には自生の紫草が群生していたらしい。
らしい、と言うのには理由がある。

☆純国産紫草

以下は、前にも書いた話。
それを今回はもう少々詳しく。

明治時代までは染色材料として栽培も盛んだったようだが、中国辺りからの安価な外来種が多量に輸入されるようになり、純国産種は駆逐されて行ったというのは良くある話。
そして現在、純国産紫草は絶滅危惧種に指定されている。
つまり今では、武蔵野に紫草群生の面影は全く無いのだという。

純国産種という表現を使うのにも理由がある。
かつて紫草は、日本全土に自生していた。
ところが環境の激変や、多量に輸入され続けた外来種との交雑も進んで、今や純粋な国産種としての紫草は絶滅の危機に瀕しているのだ、つまり混じり気の有る紫草であるならば、あちこちにみられるらしい。

ここまで来ると、それこそ純粋に、日高晤郎さんの語った江戸の息吹に少しでも近づきたい。
その一念で、純国産紫草を探っていたところ、先日関東圏在住の専門家に、とても貴重なお話しを伺う事が出来た。
またその話に関しては、後日という事で。

それにしても、つくづく思う。
インターネットって、使い方を誤らなければ、人生を切り拓いてくれる鋭利なナイフに似てるって。
紫草

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