言葉拾い~3

☆読ませる文字は、思いやり

晤郎ショーでも、幾度となく仰っていたのだけれど。

「下手な文字」と「悪筆や癖字」の違いを晤郎さんは明確に仰っている。
その違いとは、書き手の読み手に対する配慮だと。

つまり、文字自体は、文字なのだ。
それ以上でも以下でもない。 
しかし、いわゆる上手な文字と下手な文字と言うのがあるのも事実。
ここがまた微妙ではあるが、その境界は明確ではない。
あるのは、おおよそなんとなくという線引き。

上手な文字と言うのは、まぁイメージできる。
だけど下手な文字と言うのは、大きく二種類に分かれると思う。
ひとつは、そのまんま、文字としては汚い字。
でもまぁ、読めなくもない。
そしてもうひとつは、自分が下手という自覚があるためになるたけ相手に読みやすく書こうとする配慮がある文字。
この配慮が見られる文字が大切なのですと晤郎さんは仰ってたっけ。
万年筆と便箋

さて今度は、悪筆について。
悪筆とは、文字レベルを軽く飛び越えてしまっているモノ。
多くの場合は書いた人しか読めないモノ。
それどころか、書いた本人さえ読めないという凄まじきモノさえ存在する。(実際にそういうのを私は幾人も知っている)
もうここまで来たら文字ではないと言える。
文字で無ければ何か?
応えは簡単、「迷惑」だ。
まず、人に読んでもらおうという気持ちが皆無なのが悪筆ということ。

そして最後は、癖字について。
文字を書くとき、余程の方でない限り、文字にはそれぞれの癖は出る。
そしてその癖の程度が、微細なモノから飛びぬけて極端モノまで幅広く存在する。
酷いものだと、別の読み方になってしまうモノもあった。
九州での話になるが「む」と「す」どちらとも読める文字を書く方がいた。
そうそう、「9」と「7」どちらとも取れない数字を書く方は、たま~~にお見掛けする。
文字の線とか全体のバランスは良いのだが、この「どちらとも読める」とか「似た文字が無い」というのは大変に困るわけで。

晤郎さんは、「どんな文字でも、相手に読みやすいようにと言う思いやりを持って、自分なりに丁寧に書いた文字が良い文字」だと仰ってた。
下手な文字、悪筆、極端な癖字。
いろいろあるけれど、それは相手への配慮でいかようにも変化する。
配慮ある人になりたいと、強く思っている。

「人に読ませる文字に必要なのは、究極、思いやりではなかろうか」
こころによりくもりのちはれ」(昭和63年12月刊)より。
日高晤郎 著 こころによりくもりのちはれ

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