胆振東部地震から四年

☆晤郎さんが旅立たれて五ヶ月後の天災

あの日、娘と一緒に居て、晤郎さんの外郎売を暗唱できるようになったので初披露。

その前夜は今世紀最大と言われた台風が北海道に来ていた。
激しい風
そして停電
何とか不安な夜が明けた次の夜。
大きく揺れた。
それが胆振東部地震。

旅先だった私達は宿に閉じ込められた。

晤郎さんを失った哀しさを埋めるように始めた旅。
そこで遭遇した二連続の天災。
どこにも連絡が取れず、妙な浮遊感の有る孤独。

今の時代。
どこにも連絡が取れないというだけで孤独を感じてしまう事に自分で驚いていた。

平成生まれの娘は尚更。
あれだけインターネットやスマートフォンを毛嫌いしていた娘が、高校時代にスマホを持って以降、驚くべき変化を遂げたのだと知った。
スマホが使えないだけで、相当の不安を感じていたようだ。
つまり程度の差はあれ、私も娘もスマホ依存症だという事実。

☆学びの場として

この状況では相当な被害が出ているとは予想が付いた。
持参していた携帯ラジオからは、そうよくも無い受信状況ながらも混乱が伝わって来る。

慌てても仕方なかった。
娘と沢山話をした、いろんな話を。
そして空いた時間には、外郎売を暗唱した。

心の中には、東日本大震災報道の日高晤郎さんが在った。
「有事に、どうあるべきか」
その手本とした。

普段なら三時間の距離なのに、私達が札幌に戻れたのは五日後だった。
東日本大震災の年・太平洋フェリーにて

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