思い出のマーニーについて考える~前編(ネタばれ)
☆映画の後語り
映画の味わい方については、私は日高晤郎さんとは味わい方の角度が結構違ってます。
晤郎さんは、昭和初期から最盛期の映画愛が基準で、私は1977年のアメリカ映画のスターウォーズです。
この正月に晤郎さんの世界に関わる映画を何本も観ましたが、それはそれで最高でした。
ただ、近年の日本アニメ映画は、なかなか練り上げられた上質の作品が出てきていますね。
実際、映画俳優さんと撮影セットを組まなくても、画力と構成力で一本の作品が出来上がるアニメ映画は、新種の系統として頭を切り替えて存分に楽しめますし、背景が存外に深かったりします。
さて今日は、昨夜金曜ロードショーで放送された思い出のマーニーについて書くことにしました。
実は今朝からラインで、気の合う映画ファンと頻繁に感想のやり取りをしてまして。
一般には、思い出のマーニーは難解だとか言われたりしてます。主人公の杏奈がわがままで不愉快だとか。
違うんですよ、そうじゃない。
また、この映画は百合系(レズビアン系)だとかいう輩も散見されますが、何を食べたらそこまで馬鹿になるんだろうと不思議です。
では、今朝から語りまくった手紙ブログ映画友の会の、思い出のマーニー解釈前編の始まり始まり~~
☆杏奈の場合
中盤まで、なんでこうなるというストーリーの展開がある思い出のマーニーですが、終盤、一気に伏線回収となって最後になるほど!となる作品ですよね。
まず、札幌で暮らす主人公の杏奈。
心を閉ざしていて、自分自身が大嫌い、そして喘息持ち。両親はおらず、養母との二人暮らしで仲はぎくしゃく。
唯一の拠り所は、カッターで削る鉛筆で描くデッサン。
この鉛筆が象徴するものは多分、杏奈の現在の心なのでしょう。削られ、時に折れ、徐々に短くなっていく不安。
それを無表情に隠すことで成り立つ日常。
誰にも立ち入らせない、誰にも立ち入らないという人生観が生まれたのは、孤独でした。
両親は主心つく前に他界し、唯一の肉親である優しい祖母も、幽かに葬儀の記憶が残るのみ。
引き取ってくれた養母も、杏奈の顔色を窺っているのがどうにも解せない。
実際、不安というのは喘息を悪化させます。
喘息がひどくなり、医者に転地療法を勧められ、道東の親戚の家に行くことに。
さてここから、というのが物語の冒頭。
この転地療法の期間が、実に北海道的なんですね。
おおよそ七夕から8月のお盆明けまで。
この七夕は、北海道では8月7日なのですが、道東では7月7日らしいんですね。
根室とかでは7月7日にローソクもらいを子供たちがやるという。
つまり北海道の一般的な夏休み期間は7月25日あたりから8月の23日あたりまでと、本州に比べ短いですから。
なので、療養ということで夏休み前から含めた1ヶ月間の物語ということになるでしょうか。
七夕に織姫と彦星が会える。
そして杏奈はマーニーに出会った。
療養先でマーニーに出会い、おおらかで過干渉しない大岩夫婦の下で、徐々に食欲(生命力)を取り戻していく杏奈。
少しずつ表情も豊かになり、感情をあらわにする喧嘩もできるようになり、友達もできて、人を許して自分も許せるようになる。
そして。
私はみんなから捨てられ置いて行かれるという内側の恐怖を克服していくことになるんですね。
本当に愛しい子なんです。
☆杏奈の絵
最初は鉛筆でのデッサンばかり。
でも上手です。
対人関係に問題を抱えている杏奈は、伸び伸びと会話ができません。
つまり言葉を自由に使って自分を表現できていない。
だから、自分の世界にこもれる絵を自己表現の手段に選んだのだと言えます。
もちろんこれは、作品の中で描かれていることではなくて、深い心の部分の選択で本人も分かっていないでしょうね。
それから養育費の通知を杏奈がみてショックを受けているときに、何も知らない養母がプレゼントしてくれたのが24色でしたか、セットの色鉛筆。
しかし杏奈は反発心から使うことをせず、ひたすら鉛筆画ばかり。でも捨ててなかったんでしょうね、そこが愛おしくて切ない。
療養先の大岩夫婦のおおらかさと、マーニーや無口な十一じいちゃん、そして絵を描くのが趣味の久子さんとの出会いで、徐々に変わっていく杏奈。
最初はいやいや近況をハガキにして札幌の養母に出していたのですが、ある時ハガキに色鮮やかな療養先の風景画が。
これ泣きますよね。
養母あてのハガキに、養母がプレゼントしてくれた色鉛筆セットで描いてあるんですから。
映画では描かれてないですけど、このハガキもらった養母は声を出して泣いたと思います。
久子さんの絵に関しては、後編で。
☆ふとっちょ豚の場合
療養先の子供たちのリーダー格の女の子。
お父さんはきっと地方議員だと思う。
お母さんは、悪い人ではない。
杏奈から酷いことを言われて、きっと家に帰って静かに落ち込んでいたと思う。
それをお母さんが気にして、友達に聞いて回って話に尾ひれがついたんだと思う。
だからあの剣幕で大岩さんちに怒鳴り込んできたわけで。
けしてふとっちょ豚が母親に告げ口したのではない。
その証拠に作品のラスト。
杏奈に「来年はゴミ拾いきちんとやってね」と一切責めずに、さらに来年会う前提の言葉をかけて背を向けるふとっちょ豚。
そのあとです。
あの剣幕だったお母さんが、申し訳なさそうに杏奈に頭を下げたでしょう。
あれは、怒鳴り込んだ事実を、狭い村ですから当然ふとっちょ豚の耳にも入る。
するとあの器の大きいふとっちょ豚の事だから、「お母さんなんてことするの、事実はそうじゃない、刃物も向けられてない。それに二人の間で仲直りは済んでるの!!」と、自分で負った傷は棚に上げて、抗議したに違いないんです。
でないと、あの場でのあのお母さんの済まなそうな様子は生まれてこないんです。
根も葉もない話を信じて取り乱してごめんなさい、と。
つまり、みんな良い人なの。
☆マーニーの場合
初見では全く知らないから混乱しますが、最後の最後に納得の展開。
つまり思い出のマーニーは、何度か繰り返し見て理解できる映画なんですね。
だから、二回目からは杏奈のおばあちゃんだと思って観ると、マーニーの一言一言に涙が出ます。
なに?
涙は出ないって??
さては悲しい経験してませんね旦那。
普通は泣くよ。
ピクニックの時、互いに3つずつ質問しあうという決め事を作るんですが、マーニーの杏奈への質問は、同世代の女の子というより直球で孫を思う祖母のそれ。ただ見た目が同世代なので、映画を見てるこちらも、杏奈も???と混乱するわけで。
幼少期。
子育てに全く関心のない両親のもとで生まれ、世話係はいじわるなお手伝いの「バアヤ」と「ネエヤ(メイド)」×2名。
だからマーニーはおそらくですが、人の顔色ばかりをうかがう大人になりかけていた。
そこに現れたのが、和彦です。
私と同じ、良い人ね。
富豪家族が暮らす湿っ地屋敷から離れ(駆け落ちの可能性大、これも後編にて触れます)、札幌で結婚し絵美里が生まれた。
まもなく和彦が病死。夫を失ったショックからマーニーも体調を壊しサナトリウム(結核療養所)に入り、幼い絵美里は全寮制の学校に入ることになる。
13歳で全寮制学校から家庭に戻ってきた絵美里は既に別人のようになっていて、マーニーを毛嫌いし家出しそのまま結婚・出産。この時生まれたのが杏奈。けれど杏奈一人を残し夫婦共々事故死。
結局、まだ物心つかない杏奈をマーニーが引き取って育て始めるも、マーニー自身が一年後に病死。
杏奈はその後、札幌で暮らす血縁関係のない養父母佐々木家で育てられることになる。
マーニーの人生はこうして、無関心な両親、最愛の夫との早すぎる死別、娘の憎悪と和解のないままの死別、そして幼い孫杏奈を残しての無念の死で綴られている。
見た目と違ってもう散々な人生。
でも、すべて乗り越えて、優しいんですよねマーニーは。
ラストの「私を許して」は、杏奈への贖罪であると同時に、娘絵美里との和解も含まれている気がしてなりません。
「許すわ」という杏奈の叫びの後に一気に空が晴れ、菩薩のような穏やかなマーニーに涙せずにはいられませんでした。
いや、普通泣くってば。
というわけで、思い出のマーニーについて考える~後編(ネタばれ)へ続く。
あ、そうそう北見のミヨシさんも思い出のマーニーご覧になったとメールが届いております。
ミヨシさん、明日後編解説書きますので、面倒でも全部読んでくださいませ(≧▽≦)
※私のスマホが原因です、auメールがかなり不調、、、まずショップに行ってみてもらってきます、そのうちに~m(__)m