言葉拾い~4
☆「お葬式、、、父の」より
還暦を過ぎたら、一層鮮明に自分の死について考えるようになった。
いえいえ、死にたいんじゃないんです。
私の人生が、確実に死に近づいているんだなとしみじみ思うようになった。
こりゃ一種の悟りかもしれません。
自分が居なくなるとき、何を遺せるか。
まぁ、変なもの遺したって後の迷惑になるから考えなきゃいけないんですけど。
こう考えることは、無駄じゃないんですね。
毎日が鮮やかになる。
ぼ~っと生きてんじゃやないよ!って叱られる隙が自分の中で消えていくのが分かる。
やっぱりね、次の世代に何かを遺したいですね。
その中に、日高晤郎さんという話芸人がいかに素晴らしかったかもこめられると嬉しいな。
さて今日は、日高晤郎さんの著書「こころによりくもりのちはれ」より。
「お葬式、、、父の」から、この言葉を拾ってみました。
☆命を綺麗に使い果たした末の骨
晤郎さんのお父様は、新聞や雑誌に晤郎さんの記事が出ると切り抜いて老人パスの中に入れて、それが擦り切れるまでいろんな方に見せて自慢してらっしゃったそうです。。
それが擦り切れた、セロテープで修繕して、再び持ち歩いて。
お亡くなりになったのは、土曜日の夜。
日高晤郎ショーの放送が終わるのを待っての旅立ち。
晤郎さんは訃報を聞き、翌日曜日に大阪に飛んで通夜。
月曜日に告別式。
火曜日に後片付け。
水曜日に東京に戻って晤郎ショーの準備。
木曜日に札幌へ移動。
金曜日に打ち合わせで、土曜日には日高晤郎ショー生放送。
お父様も凄いし、晤郎さんも凄いと思います。
人生で初めて、喪主のリボンをつけた晤郎さんは、悲しいというより見送る責任で冷静でいらっしゃったそうです。
それがいざ出棺の時は、あの晤郎さんが声を抑えられず文字どおり慟哭されたと言います。
すべてを終えて、手元に戻ってきたお父様の遺骨は、小さく少なく、光るように白かったそうです。
そこでそのお父様の遺骨を、晤郎さんはこう表現してらっしゃいます。
「命を綺麗に使い果たした骨」と。
綺麗に使い果たすことを私もやりたいと、この文章を読んで思うのです。