晤郎さんが結びなおしてくださったご縁②
☆晤郎さんの言葉に背中を押されて
この時のホール公開のテーマが、この言葉だったのです。
ただ一度。
ラジオ人生講座のコーナーの終わりの締めに、この言葉を仰ったとき、妙に心に残りまして。
帰宅して悩んで、でもこの時を逃したらもう一生決心がつかないとばかりに勢いで一通の手紙を書きあげました。
それは、母への手紙。
晤郎さんの言葉の勢いも借りて「母さん」と、人生で初めて記した手紙。
照れくささが勝たないうちに投函。
けじめとして、この一部始終を手紙にして、晤郎さんへも同時に投函したことを覚えています。
同じポストから同じ時間に、一通は母へ、一通は晤郎さんへ。
母からはすぐに返事がきました。
謝罪八割の手紙でした。
でも少しずつ少しずつ、程よい間合いの、遅い遅い親子関係を作ることができたんです。
日高晤郎さんがいらっしゃらなかったら、生みの母と私の間の溝は永遠に埋まることはなかったでしょう。
☆母の言葉の向こう側に
つい3日前です。
母と電話してました。
もう母も88歳。
人生の終盤を、少しでも穏やかに楽しく過ごしてほしいと、電話だけはご無沙汰にならないように心がけています。
不意に、私が生まれる前のことを聞きたくなったんです。
それで、父と分かれた時の話を聞いてみました。
父には全く興味がありませんでした。
周囲から何となく聞く話では、「お腹に私が入っていた母を捨てた男」だったからです。
護るべきものを護れない男は、私の中でただの腑抜けですから、本当に興味がなかった。
怒りや恨みなんて、だって会ってないんですから湧くはずもない。
でも、腑抜けの話を聞いといても損はないかな、なんて思えるようになって。
ある種の悟りでしょうか。
母をうまく乗せた私は、これまでにないぐらいの父の情報を聞き出すことに成功したんです。
聞いた後、その夜は心の底から後悔しました。
久しぶりに、がっくりするぐらい、後悔したんです。
でも、聞いて良かったと思っています、正解でした。
、、、長くなったので、残りは明日書きますね。
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