昭和の恋文と、今のライン
☆便箋の思い出
年賀状の出荷量が年々減っているそうである。
つまりは、年賀状のやり取りが減ってるという事で、ずいぶんスマートフォンの普及が影響しているんだろう。
確かに、ちゃっちゃとキーを打ったら、確実に相手に届くのだから。
まぁ、便利なんだけど、風情はない。
私の周囲の20代で、やれラインの返信が遅れただの、既読が付いてるのに返信が来ないだので、分かれた恋人同士を5組知ってる。
そう、メールよりも、ラインで多い。
恋も相当に簡略化されて、まあなんともせっかちな青春となったのだなぁ。
昭和の時代、好きな相手に清水の舞台から飛び降りる気持ちで手紙を書いたことがある。
あれは本当に体に悪い。
投函した翌日には、もう自宅の郵便ポストが気になってしまったものだ。
いくら何でも、まだ相手に届いてないのに返信が来るわけがない。
分かっていても、ポストを見て溜息ついてた自分を思い返すと、うん、ただ恥ずかしいぞ。
待って待って1週間過ぎると、悟りに似た境地に達する。
これはもうダメなんじゃないか?
ああきっと、迷惑だったんじゃないか?
自分はきっと嫌われているのだろう、ああもう二度と恋などするものか!
もう恋はいらない、一生一人で生きていく!!
ああそうだ、卒業したら誰も知らない土地に越して、一人で静かに慎ましやかに暮らすのだ。
そうだそうだそうしよう。
しかしこの悟りは、2週間目で崩壊した。
返事が来たのだ。
まずこんな場合、男はどうなるのか。
以下にその経過を述べる。
①、郵便受けを見て、白い封筒にその人の文字。心臓の鼓動が夏祭り状態。
②、ひとしきり、その封筒を抱きしめ小躍りを飽きるまで。
③、ふと冷静になる。もしかして、苦情やお断りの場合もあると冷静なもう一人の自分から肩を叩かれる。
④、物凄く怖くなる。怖さと恥ずかしさと照れとが集団で背中に乗っかってくるイメージ。
⑤、開き直る。とりあえず開封しなければどうしようもないと気づく。深呼吸を気が済むまで行う。
⑥、開封! ハサミなんぞ使うかう!! 手でビビビッと破いて、便箋を取り出す。
便箋2枚。
今でもしっかり覚えてる。
この世の物とは思われないような、天女の文字とはかくあらんというような、綺麗で優しい文字。
ああもうこの時には、ええい一気に読むぞとばかりに覚悟を決めて、怒涛の如く最後まで読み、次に少し落ち着いて読み、最後はじっくり読み、それからは生まれてこの方、手紙を読むのが生き甲斐ですみたいな感じでえへらえへらと読み開始たものだよ若者よ!
結局、「お友達でいましょう」なんて、当時そうとうな馬鹿者だったので、その意味するところも分からなかったのだ。
こうしてブログに改めて書いてて、やっぱり恥ずかしくなったぞ。
時は流れて、札幌で暮らすようになって、好きな番組ができて、そこに毎週手紙を書いた時期もあったけど。
書かなくなったんですよ最近。
なんだかんだ、私もメールやラインで済ますことが多いからなぁ。
いえね、こんな思い出話を書いた理由。
二つあってね。
一つは、先日昔の荷物を片付けていたら、その時の下書きの恋文の一枚が出てきたの。
ああ、頑張ってたなぁ俺、ってしみじみして、しかしこんなもの取っておいたのかとA型の自分の暗さにがっくりして、捨てましたけどね。
青春の葬送曲だ!
まぁそれで、ああこうだったよなと思い出して書いてみたわけ。
そしてもう一つの理由。
つい一昨日、一人の若者が彼氏からラインにすぐに返信が来ない、もう駄目かもなんて嘆いているので、この私の経験と、恋の待ち時間の大切さを説いたわけさ。
熱を込めて説いたわけさ。
返ってきた答えが、あ~に近い「ふ~ん」でしたぜ。
化石を見つめるような、あの若者の冷たい目。
なんかちょっと悔しかったので、手紙ブログに書きました。
やっぱりラインにすぐに返事の来ないあなたの恋はもう終わってます!!と、ここで内緒で叫んでやる!!
でもね、便箋に向かい合ったあの時間、やっぱり今でも宝物なんですよね。
そんなことを思いつつ、さて今夜は旅支度の続きをします。