日高晤郎ショーと、ポリコレ~①

12月11日、Yahoo!のニュースで見ました。
ディズニーの最高経営責任者が、近年同社の作品やキャラクターがメッセージ性に偏り過ぎていたと認める発言をした、という事なんですね。

これは、子ども向けの作品であるにもかかわらず、同性愛の表現が入っていたり、作品のバランスから考えても不自然な俳優さんの構成だったり。
つまり、これは私見ですが、どの作品を観ても色んな国籍の俳優さんがまんべんなく配置されていて、どうにもつまらない。
色んな国籍が入っていて一つのチームと言う名作「サイボーグ009」とは雲泥の差。とにかく無理がある。
もうディズニー作品に辟易してるときに、このCEOの発言には、おや?と思いました。
何でもかんでも平等第一の風潮が変わるのかしら、と。

その点。
今回の「ゴジラ-1.0」は凄まじいですね。
近年の風潮に対し、異色。
登場人物はほぼ日本人のみ!
ゴジラと戦うのは、男のみ!
異様に重そうなロケットランチャーやそれ持てないだろと突っ込みたくなるような大太刀を片手で平気で振り回すかわいらしいお顔をした女性戦士なんて一切出てこない!!ぶらぼ~~~♪
ゴジラ-1.0

・ポリコレ

ポリコレ、と言う言葉があります。
正式には、ポリティカル・コレクトネス。
これは、20世紀初めのロシア革命から生まれた考え方らしいですね。

差別や不平等を無くすための考え方や表現。
別名、文化的マルクス主義。

この言葉が段々独り歩きしだして、アメリカの一部から、教育やメディアや政治の世界に進出してきたんだそうです。
先述のディズニーCEOの発言も、近年行き過ぎたポリコレの風潮がディズニー作品に取り込まれて、本来の面白さを失ってきているので、そこを見直していくという宣言なのですね。

何においても、行き過ぎは良くありませんから。

そう、このポリコレにも、他のすべてと同じように、良い面と悪い面があると思うんです。
もちろん、人種や文化、そして職業や性別などで差別されるのは間違っています。
こういう面での平等のために使われるのは正しいです。
でも、、、。
行き過ぎた考えは、言葉の弾圧を生み出します。
架空の戦士1

・日高晤郎ショー

まぁ、平等の考え方は間違っていないのですが、このフィルターを通してみると、日高晤郎さんの前に立ちふさがったポリコレの壁が見えてきます。

ある時期から、色んな方面でこれがじわじわと浸透していまして、ハッキリ物事をいう人の言葉が槍玉に挙がって叩かれることが多くなりました。
当然、スパンとものを言う晤郎さんの爽快さ。
当然、賛とする方もあれば、否とする方もある。
つまり否の側のポリコレ圧は、ふつうご本人に行くものですが、こういう番組の場合、スポンサーにも向かいます。
会社としても敏感にならざるを得ないでしょう。

そこで、晤郎さんへの応対にも、これまで通りとはいかない部分も出てくる。
また、ポリコレの波に乗った方が、今の時代では許されないなどと短絡思考(ご本人たちはそうは思っていないのが厄介なのですが、、)から、遠巻きに足を引っ張ることになる。
世界的に見ても、過剰なポリコレは、本当の表現の自由を奪う物なのです。

こうして周辺圧力は高まっていましたが、最後の最後まで、日高晤郎さんは、日高晤郎さんでしたよね。
だから私たちは、今もこうして惹かれるのでしょう。
しかしまさか、文化的マルクス主義だったとは恐れ入谷の鬼子母神。
教えてくれたディズニーCEOに感謝の、今日は土曜日。
日高晤郎ショー初スタジオ見学

< 日高晤郎ショーと、ポリコレ~②へ続く

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