文乃力
☆手紙や葉書が秘めた力
葉書を出した秋
昨年の今頃は、視力が戻ったばかりでした。
本当に一時期はもう、文字も掛けなくなるんじゃないかと観念したほどでした。
さいわいこういったブログは、片目最低でも指一本あれば作れます、その分時間はかかりますが。
手紙は、晤郎ショーが無くなってめっきり書かなくなっていましたね。
でもそれではやはり、晤郎さんに対しても良くないんじゃないかなどと思い一念発起。
機会があれば葉書を書いてみようと考えたのが今年の正月でした。
そしてやや忙しさが落ち着いた今年の秋。
年賀状を出さない分、いつもお付き合いして下さってる方や懐かしい方に、葉書を出したのです。
内容は大したことないけれど、年賀状と違って、面白かったです。
年賀状の終焉?
年賀状
年に一度の
名前あり
そんな言葉もありますが。
確かに、年賀状だけのお付き合いというものはこれまでにもありました。
それでつながり続ける御縁もありましたが、この秋に郵便料金が極端に値上げされて、いよいよ年賀状文化も終わりを迎える最終段階に入ったのだと感じました。
いやもしかして、このままでは郵便局そのものがほぼ壊滅していくんじゃないかとも思っています。
そんなバカな!という事が平気で起こる令和の時代ですから、あながち私の妄想でも無いような気がするのです。
私なんぞは偏屈ですから、印刷されただけの年賀状を頂いても、なんだか業務感満載で記憶に残りません。
なのでそういう方とは、徐々に業務的な年に一度の年賀状だけのやり取りになって行く傾向にありました。
だから今年から、色んな意味で年賀状はもういいかな、、、と。
秋の葉書が芽を出した冬
さて話は戻って今年の秋。
私からの、突然の普通の葉書に対し、返信を下さる方がいらっしゃった。
当然、こういうのは業務的ではなく、本来の「文」の姿であります。
気持ちのこもったやり取り。
文字から伝わってくる体温。
その中に、年賀状以外で手紙を交わす事は30~40年振りという方もいらっしゃいました。
これが嬉しかったですね。
そう、葉書に対して封書で返信が来たのです。
とりとめもない内容の私の葉書でしたから、返信のしようがないにも関わらず、です。
こうなると、こちらも内容によりますが、本気の手紙で返信をし、言葉のキャッチボールが始まります。
この感覚が、懐かしかったりしました。
秋の葉書で会える春
そこからつまりは来年の春、実に久しぶりに再会することになった方が二人。
一人は私の叔母で、宮崎県在住。
秋の私の葉書に、返信の手紙を下さった直後に交通事故に合い、緊急入院。
それを知らずに私は手紙を書き、その手紙を叔母の娘が病室に届けて。
その後どうにか危険な状態を切り抜けた叔母は、その一ヶ月後に事故で不自由な体にもかかわらず震える手で便箋に文字を認(したた)め、投函。
そんな病室からの返信は、いくら私のことは心配しないで大丈夫だからと書かれていても、その文字に込められた思いは読み取れます。
万難を排してでも会いに行くことに決めました。
私が昔、九州を旅立った三月に。
叔母の米寿祝いを兼ねて。
三月に会いに行きますよ、と手紙を返しました。
先月の事です。
その叔母の所から約90kmの所に私の高校時代の恩師が暮らしてらっしゃって、その先生からも葉書が来ていました。
そこで先生にも、来年三月に九州へ帰りますので、お昼ご飯でも一緒にいかがでしょう?と手紙を出したのですが、これは即折り返しの封書が届きました。
その手紙には、先生の温かいお言葉が詰められており、最後に電話番号が記してありました。
秋の葉書で言葉を聴けて
まずは叔母から、病院内の公衆電話から着信がありました。
しかし私のスマートフォンは、住所登録していない方からの電話は着信拒否する設定になっております。
また、公衆電話からでは、公衆電話とだけ表示され、どこの誰だか分からないので、まず私が出る事はありません。
ところがあまりにも公衆電話からの着信が、朝と夕に集中して掛かってくる。
それで手紙を私が出したタイミングから考えて、叔母だと分かりました。
入院中ですから、こちらからは電話できないですし、取り次いでももらえませんから、叔母からの電話に出るしかなかったわけです。
それで待ち構えて、最初の電話から4日後に言葉を交わすことができました。
叔母は、順調にリハビリが進んでいれば、今日が退院となるはずです。
再会できることをこんなにも喜んでいただけるんだと、本当に嬉しい電話でありました。
ただ、お金掛るのですぐに切りましたけど、言葉を交わせて本当に嬉しい瞬間でした。
また昨日。
私の高校時代の恩師とも、、電話では40年振りぐらいになるのかな、お話しできました。
先生は、私が吸収を離れる時の保証人にもなってくださった方で、私が定年で仕事から解放された今、ようやくその時のお礼とご挨拶が出来るので、本当に嬉しい再会となります。
40年ぶりに聞く先生の声は、相変わらず活気に満ち溢れていて、まさか再会できるとは!と本当に喜んでくださっていて、ああ、こうして再びつながれてよかったと心底思いました。
来年三月。
私にとって大事な旅になります。
こんな大事な旅を生み出してくれたのもみんな、日高晤郎さんが信じておられた文(ふみ)の力なのです。
全てに感謝しつつの、12月27日金曜日の朝です。