日高晤郎ショー・みとせの流行り歌1994年 その1
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☆ 日高晤郎ショーの1コーナー「みとせの流行り歌」十二回目の記録
福永アナウンサー
今から19年前。
千客万来のレポーター。
その頃はまだそういうコーナーで、福永俊介になりましたね。
入社したばっかりです。
まああいつは、晤郎ショーのレポーターがやりたいと周りに言ってたみたいですね。
今、廊下で会ってもそんなことは曖気(おくび)にも出しません。(スタジオ笑)
半年間やりましたが、面白いなぁと。
彼だけですね。
周りのディレクターに、帰って来ても一切注意するなと。
ディレクターって職業は、どういうわけだか注意したがるんですよ。
それも長々とね。
怒るならスパッと怒ればいいんですが。
ここの伝統なんですよ。
長くやったって聴きゃしませんって。
人の虫の居所ってね、居座りの良い時と悪い時があるんだから。
長いなってなったら長いだけで忘れられますから。
言ってることをね。
スパンと言い切ればいいのに手薬煉(てぐすね)引いて待つんですねこれが。
ディレクターになったからって急に説教垂れたって聴きゃしませんよ。
信用しませんよ年から言ったって経験から言ったって。
そこが分からないのね。
村上には(※当時のディレクター)には、そういう馬鹿げたことはやるなと普段言ってありますがね。
やりません、また彼は利口だからそういうのは。
利口でも小利口じゃないですから。
本当の意味でのトンとした利口さがあるんでね。
いやだから、そういう意味では良いんですけれども。
でもあの頃はね、怒る風潮がいっぱいあったから。
なんかみんな、俺の真似しちゃうのかな。
いや、絶対言うなって言いましたから。
このまま天然が面白い、このままで良いんだって。
福永アナウンサー、テレビへ
そしたら半年経って面白からってテレビに持ってったんですよ。
、、、いけませんとは言いません。
言いませんけど、、、たま~に廊下で会うと、そこのところは制約破ってお前の本当の面白さって言うのが今充分じゃないからやれって言う前にあいつが脱兎のごとく逃げるんですよ(スタジオ笑)
足、速い速い。
どこまで逃げると思います?
駅前までです(スタジオ笑)
あそこが自分の逃げ場だと思ってやがるあんにゃろ。(スタジオ爆笑)
郵便料金値上げ
一月後半になって、うわぁこれからラジオの、私は葉書が、特殊な例以外は普通のお便りは封書で頂きたい方なんです。
封を切って、中から出して読んで収めるというあの行為が好きなんでね。
だけどこれから封書が来なくなるかなって。
郵便料金が値上げになったんですよ。
この年なんですよ19年前、封書が80円になったの。
封書がその前、62円ですから。
葉書が41円から50円になった。
半端からキリが良くなっちゃったよ。
でもお陰様でお便りは減る一方です。
スポーツ界
二月に入ってリレハンメルオリンピック。
ノルディック複合団体で金メダル、安倍、河野、荻原。
荻原凄かったですからねあの当時は。
スキーのジャンプ団体は銀メダルでしたね。
そういう事があってスポーツではパッと花開いた年ではあったんですね。
でプロ野球は同率首位同士の巨人対中日。
三つ喰らってどうなるかと思っていたら四つ勝ったって言うあれですよね。
ジャイアンツが勝って日本シリーズも制しましたから、ほんとですよ。
で、この時にはイチローが向こうへ行って、イチロー効果っていう凄かったですから。
あ、行ってねぇか。
とにかくイチロー効果ってあったんですね。
もうJリーグとかに押されてましたから。
そんな時にこの曲。
デビューしたのがTOKIOです。
TOKIOデビューした年に紅白初出場。
で、今もそれぞれが活躍ですもん。
コマーシャルでもそうだし、バラエティーでも活躍だし。
TOKIO、ラブユーオンリー
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