日高晤郎ショー・みとせの流行り歌1996年 その2
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☆ 日高晤郎ショーの1コーナー「みとせの流行り歌」十四回目の記録
ただ私にとってはこの年は、ああ一つの星が消えたなって年でした。
1月7日三橋美智也さんがお亡くなりになった。
享年65。
今から考えたらお若いし、それから奥様の事で晩節を汚したところがありますよね。
あんなに人前で奥様を捕まえて悪口雑言。
事情はあったんでしょうけどそれは三橋美智也ファンとしての私は哀しかった。
そして8月になると享年68。
おっちゃん、それを言っちゃあおしまいよ。
渥美清さん。
私はその時に言った言葉を覚えてますよ。
監督は良い気持ちかもしれないけれど、撮っててね、ヒット作作れたから。
だけど僕は渥美さんのためには、寅さんって映画は残酷な映画だと。
あれ程の腕のある人が、それ以外できなかったんですからね。
で、ロマンチストだったし。
もう舞台や映画を必ず観に行く人だったし、旺盛にご自分の中では全くそういうふうに見えなかったけれど切磋琢磨で。
勉強を欠かさなかった方ではありましたね。
でも何かが誕生した年だろうってそういう時には何かがあるんで。
北海道でコンサドーレができた年です。
それともう一つ。
この年最大のヒット曲となったのがこれです。
レコード大賞最優秀歌唱賞。
当然です。
同時に御両親はまだご健在で、ちょっと一献差し上げたい食事にお付き合いいただけませんかって、お父さんとお母さんが先生、この曲売れるでしょうか?
で、よしみもちょっと日高さん、私も抑えて歌って私らしいところが一ヶ所ぐらいしか無いんですけど、無理して歌ったけれど。
都はるみの大阪しぐれもある。
抑えた歌はひょっとしたら化けるかもしれない。
それがこれでした、珍島物語
で、これの前後に彼女が、ちょっとお会いしたいって。
まぁ珍島物語がほぼ軸だったんだけれど。
パジャマを着て出てきたことがあったんですよ、ホテルで。
着替えの前にね。
水玉の可愛いパジャマだったらしいんだよ。
ところが俺にはスイカにしか見えなかった(スタジオ爆笑)
パンパンだから。
その時に珍島物語がフッと頭をよぎって。
風呂が壊れるの~♪
お湯があふれるの~♪
っていうふうにね歌詞を替えたんだけどそれがどうしたんだい!(スタジオ爆笑)
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